平穏であることの超迫力
昨日、現地の気温は35℃。
エアコン無しの実験場で汗まみれのうちに
ぶじ二日間のハードテスト完了。
理解していたつもりだが
自分の両目と2台のHDキャメラ、
6台のCCDキャメラの総計9つの視点で目撃したものは
奇妙としかいいようのない事実だった。
90カインの神戸大震災の実波加振を受けた支承の激動に比して
室内のあきれるような平静さ。
食卓の上の倒れやすい花瓶もキッチンのカウンターに置いたトマトも微動しただけで倒れも転がりもせず。
同時に見ているとマグリットの不思議絵のような世界。
風に揺れる柳のような家とでも言うか。

見た目の変化の無さ。
あっけないほどの平穏。
その意味することのスゴサを実感。

撤収後、近くの店で課題のチェックと次の実験撮影についての打合せ。
エアコンの効いた場所をバカにしていたが
このときは天国のようだった。
湿気がとれるだけで生き返るような感覚が強かった。

読んだばかりの乃南の「涙」の宮古島の台風シーンとほぼ匹敵するような被害が昨日の台風で発生したことを知る。

満月捕りの帰路と同じ道を多摩川沿いに下りながら
ときどき雲間から顔を出す十六夜の月を眺める。

風呂にレモンを放り込み、二日間熱にあぶられた体をゆっくりとほぐした。
7月から準備にかかった実験シリーズの第一ハードルを越えた。

行き遅れた真夏に悩まされたが
思い描いた映像と音が手に入りつつある。
どう料理していくか、少しずつ愉しみが増していく。

6時間眠ったところで腹が空いて目がさめた。
9時。昼過ぎまでたっぷりと眠るつもりが
二日続いた早起きのせいか。
そのままヤンキースの実況を見る。

デスクトップと渡辺のパワーブックG4に同時にノートンとディスク10をかける。
映像をちょっと使っただけで断片化が甚だしいのには、しかし閉口する。
このままだと人生の多くを断片化の解消で送らされることになるのではないか。

ま、ひさしぶりにホッとした昼ならではだが。