カタチは色を夢に見る…そのまんまだな
目の前でテロップのサイズが変わり書体が変わり、色が変わっていく。
オフィスでファイナルカットプロでの編集。

レンダリングの間のみじかい待ち時間。

ずいぶんひさしぶりに黒バックを使う。
黒バックに文字を抜く。
あの頃は予算のない仕事ばかりが続いて
それでもなんとか違いを出そうと、
文字の配置、書体、字詰め、行間、色に工夫を凝らした。
そこで工夫する以外に、ブラッシュアップの手が無かった。

金を使えるようになって、
いつか黒バックから離れていった。
得たものと失ったものがあることを実感する。
よくも悪くも、それがおれの《いま》ではあるが。

スタジオで金をかけるのと
デスクトップで淡々と、しかし
渾身こめてワンカットごとにレンダリングを見守っているのと
そのいずれもが面白い。

手作業でテープを扱っていた頃には
今日の十分の一もカタチにはならなかった。

デジタルであることの意味がここにある。
夢見ることがあるとすれば、
その夢の一部は、こうしてたやすくカタチを結ぶ。
パソコンが苦手なままに、使いだして8年。

自分の中に眠っていた、あるいは予想しなかった
いくつかの可能性を引きだしてくれる
そのマジックタイムを目の前に
きょうは何だか気分がいい。