2001 10/06 03:27
Category : 日記
引き続きA.ドロンとC.プロンソンの《さらば友よ》をVHSで観る。これは四回目か。ま、男のお伽話として、うまくできているなとあらためて。これでC.プロンソンがブレイクしたわけだが、いま観ても納得させられる渋さではあった。コインをグラスに落としていく遊びを、あの頃はあちこちでよく見かけたが、C.プロンソンの渋みと茶目っ気が同居した表情があってはじめて成立してたのだと実感。ラストの廊下で、手錠をかけられたC.プロンソンがタバコを銜えると、A.ドロンがマッチで火をつける。互いの顔を見ずに。そのシーンの気障な演出ぶりに当時もぞくっとしたが、ま、相変わらずいいシーンではあった。それにしても、禁煙ばやりのストイックな世界で、道を誤った男たちは、どんな小道具で情を交わしあえばいいのだろうか。タバコとマッチの炎の出てこないフィルム・ノワールは果たして成立するのだろうか。
《長いお別れ》のグールドもまた、じつによくタバコを吸っている。吸っているというよりほとんど銜え続けている。あちこちでマッチをつける瞬間がまことに映像のリズムを助けていた。このテも、もはや使えない。新しい時代のマーロウはポケットからデンタクロス引きだして白い歯に磨きをかけるのだろうか。ハードボイルドも難しい。
資料を読むつもりが、ちょっと弾みをつけようと古い映画を観たのがいけなかった。
カゼぎみのせいか、妙に白けた気分の日となった。気がかりだったことが、ぽかっと抜け落ちたような、漂白されたような、とまどいを感じた。
須賀川が終わったことが、やっと体のすみずみにまで行き渡っていく、そんな感じもある。
焦熱感が帰京してからもまだ続いていた。昨日の未明までは。なぜ落ち着けないのか理解できないままに、三日間が過ぎた。深夜になるとあれこれ思い描き、地団駄ふむような焦りと、脱力感に包まれるということを繰り返してたが、それがいきなり金曜の午後に目覚めたときに消えていた。
消えてしまったことを確認するように、仕事のスケジュールをチェックしていった。他人事のようにしか見えなかったことが、自分のこととして目の前に並んでいた。
すこしばかりさみしいような気もするが、これでいいのだとホッとする思いも強い。
熱はどこかで下がる。いつかは消えていく。そうしてぼくらはいつもの日々に帰っていくのだ。
あとはその日々が、以前よりは、わずかでもハリのある時間となることを願うだけだ。
《長いお別れ》のグールドもまた、じつによくタバコを吸っている。吸っているというよりほとんど銜え続けている。あちこちでマッチをつける瞬間がまことに映像のリズムを助けていた。このテも、もはや使えない。新しい時代のマーロウはポケットからデンタクロス引きだして白い歯に磨きをかけるのだろうか。ハードボイルドも難しい。
資料を読むつもりが、ちょっと弾みをつけようと古い映画を観たのがいけなかった。
カゼぎみのせいか、妙に白けた気分の日となった。気がかりだったことが、ぽかっと抜け落ちたような、漂白されたような、とまどいを感じた。
須賀川が終わったことが、やっと体のすみずみにまで行き渡っていく、そんな感じもある。
焦熱感が帰京してからもまだ続いていた。昨日の未明までは。なぜ落ち着けないのか理解できないままに、三日間が過ぎた。深夜になるとあれこれ思い描き、地団駄ふむような焦りと、脱力感に包まれるということを繰り返してたが、それがいきなり金曜の午後に目覚めたときに消えていた。
消えてしまったことを確認するように、仕事のスケジュールをチェックしていった。他人事のようにしか見えなかったことが、自分のこととして目の前に並んでいた。
すこしばかりさみしいような気もするが、これでいいのだとホッとする思いも強い。
熱はどこかで下がる。いつかは消えていく。そうしてぼくらはいつもの日々に帰っていくのだ。
あとはその日々が、以前よりは、わずかでもハリのある時間となることを願うだけだ。