2007 12/13 01:40
Category : 天皇賞馬テンメイ、その母天皇賞馬トウメイの軌跡 Ⅰ
そのⅠ 母トウメイの軌跡
トウメイの母は、トシマンナは、地方競馬で未勝利、底に流れてる血に
オーナは、期待を掛け、シプリアニにかけた、
まだタカツバキ、ヒカルイマイも出してない、無名の種牡馬だった
生まれたのは、小さい牝馬だった
後に、新聞で「ねずみのような馬」と書かれたほど
誰が見ても、みすぼらしい牝馬だった
でも、素質には期待はしてが、競りにかけても、結局売れず
誰も引き取り手は無く、何とか、安く売り、買い手が見つかったが
預かってくれる厩舎が、中々見つからなかった
やっと、預かってくれる厩舎が公営の大井に見つかった
しかし、調教師が亡くなり、振り出しに
競りの時、進めた中央の清水厩舎に、何とか入厩したが、
結局、厩舎の厄介者扱い、誰も、滅多に手入れもせず
担当の厩務員も付けて貰えなかった
ほったらかし、トウメイは牧場から入厩して、
今までの扱いとの、ギャップに、きっと、苛立ったのか、
気の荒い馬に成っていった、
それは、人間が落ちこぼれ扱いをされ、誰も信じれなくなったのと
同じなのだろうか。
それは、競走成績に現れる、優等生と扱われてきた馬たちのに
復讐とも言える、並み居る優等生に、噛み付いた
負けると、レースの後、悔しそうに首を上下にし、いつまでも
四肢を地面に叩き付けたそうだ
ねずみのような馬は、新馬戦で2着、続く新馬戦で初勝利
順調に、勝ち星を積み上げ、厩舎の期待の星に成った
この時、トウメイは、丁寧に扱われ、ピカピカの馬体に変わっていた
シンザン記念2着、京都4歳特別を快勝
いつしか、桜花賞の1番人気に支持される
桜花賞で、5番手につけたトウメイは、楽に先行馬を捕らえ
ゴールに向かった、それを待ってた様に、お嬢様育ちとして鍛えられた
ヒデコトブキが、今日のために生まれてきたとばかりに
久保敏騎手の水車ムチに応え馬体を並べた、虐げられたトウメイと
お嬢様育ちのヒデコトブキが、牝馬としては、異例の300Mの叩き合いを演じた、
スターホースの子ヒデコトブキを
フアンは、スーパーホースになる事を望んでいたかもしれない
内のトウメイは、外のヒデコトブキに、並ばれ小さいトウメイは
ほとんど、隠れて見えなかった、ゴールした時は、2分の1馬身
お嬢様が勝った、レコードタイムだった、これが、死闘を物語ってた。
負けた、トウメイは何時までも、興奮して、人間を困らせた
気持ちが落ち着かず、飼い食いが落ちオークスまで、休養した
一方、勝ったヒデコトブキは、右前脚を痛め、1年の休養に入った
トウメイは完調で挑めなかった、オークスは3着に敗れた。
その後休養したトウメイにまた不運が、清水調教師が亡くなり
佐藤勇調教師にひとまず転厩したが、成績が振るわず休養
トウメイと言う名前は、実は、高速道路の東名では無い
メイトウ(名刀)と、付けるとこを、受け付けれず、反対にし
トウメイにしたそうだ。
五歳になったトウメイは四度目の転厩し、
開業したての坂田厩舎には入る
自信をなくしたトウメイは厩舎の配慮で
骨っぽい相手にぶつけず、オープンで力試しをして行く
オープンで、天皇賞候補ダテホーライを破り
天皇賞とも考えたが、回避し、阪急杯に向かい
4着になり、脚を痛める、
復帰までは、半年以上かかる引退させようと言うことも考えたが
競走馬として復帰させる道を選んだ
フアンやマスコミに、まだ稼がせるのかと言う声も聞かれた
6歳に成ったトウメイは、オープンを使いながら
レース勘を取り戻していった、5戦目に昨年と同じ
マイラーズカップに出走し、ダテテンリュウ、タマホープという
牡馬の強豪と顔をあわせた、どん尻から、直線外に持ち出し
大きな牡馬を2頭を瞬く間に抜き去り、悠々とゴールインした
次のオープンでも、楽勝し、さらに昨年の無念を晴らすべき
再び、阪急杯に挑戦し、小さな牝馬が、58Kのトップハンデを
背負い、二十一頭の混戦を、物ともせず、強烈な末脚で、一蹴つして
四連勝を飾り、トウメイの強さはさらに増してきた
さすがに、もう走らすのは、可哀想という声は聞かれなくなった
天皇賞に、挑戦しようか・・・・・
百六十万で、ささやかな楽しみを求めたオーナーと
開業したての若い調教師は、だいそれた夢を、
闇の中の、一筋の光として捉えてきた
手始めに、牝馬東京タイムズ杯楽勝し
天皇賞に駒を進める
天皇賞挑戦を表明した時には皆びっくりした。牝馬に3200mはあまりに過酷。
ましてやトウメイはマイル戦での斬れ味を売りにする馬。
いくらトウメイが勝負根性に優れた強い馬だといっても勝ち負けは難しいのではないか?
その思いは騎乗する清水騎手も同じだった。
しかしさんざん悩んだあげく、清水騎手は極めて楽観的な2マイル克服法を編み出した。
「3200mといっても結局は2マイル戦。トウメイの得意なマイル戦を
2度走って来るつもりで乗ればいいのだ・・・」
果たして天皇賞で3番人気に押されたトウメイは
その言葉通りマイルを2度走ったのか、直線マイル戦のような鋭い追い込みを見せて
ダービー馬ダイシンボルガード・菊花賞馬アカネテンリュウ以下牡馬の強豪を
抑えて見事に天皇賞を獲得した。牝馬が天皇賞を勝ったのは
クリヒデ以来9年ぶりのことで、これ以降も昭和55年のプリティキャスト、
そして平成9年のエアグルーヴ(ただし2000m)ただ2頭しか記録されていない。
昭和四十六年十二月十九日有馬記念
トウメイの最後のレースだった
この時、私はもうすぐ二十一歳に成ろうとしてた二十歳の大学生だった
トウメイの印象は、切れ味と根性のあるマイラーだった
天皇賞を勝っても、まだ、有馬記念勝つまでは?
私は、春の天皇賞馬、メジロムサシに期待してた
一番人気菊花賞馬アカネテンリュウ、春の天皇賞馬メジロムサシ、
昨年の秋の天皇賞馬メジロアサマ、ダービー馬ダイシンボルガード、
トウメイは五番人気だった
皆が、この馬に期待しようと、競馬場についた時、思わぬものを
発見する、競馬歴は長いが、こんな事は、この時だけだった
なんと、出走取り消しが、二十一頭も居たのだ、馬のインフルエンザだった
その中に、有馬記念に出る、アカネテンリュウ、メジロアサマ、カミタカが居た
有馬記念史上初の六頭立てになった
私は、これで、メジロムサシでどうしようもないと思った
スタートして、3コーナーに掛かった時、馬群はスローペースの
団子状態、メジロムサシは中段、トウメイは最後方を何時ものように進んだ
4コーナを回ると、逃げたサンエイソロンに、長距離馬コンチネンタル、
ダイシンボルガードが、並びかける、本調子に無いのか、メジロムサシは
最後方に下がった、トウメイは大外に回り、いよいよ最後の坂にさしかかる
勝負どころに差し掛かった、トウメイは、何時ものように行くぞとばかり
尻尾を、グルグル回した
トウメイは、レースを知っていて、ムチなんか使うな、言われなくても走るよと
ばかりに、尻尾をまわす、下手にムチを使うと、走らないそうだ
尻尾を、三回、四回と回したトウメイは、今日も貰ったとばかりに
牡馬二頭に襲い掛かった、有馬記念の緊張感のせいか、騎手は使っては
いけないムチをトウメイに当てた、そんな事には気にもせず
二頭並ぶまもなく、ゴールした、正に完勝だった
私は、アカネテンリュウ、メジロアサマの居ない、有馬で勝っても
本当に強いとは、思わなかった
トウメイには、生涯この事が付回す、有る意味不運な馬である
戦後最強牝馬の称号を手土産に牧場へ戻ったトウメイは繁殖生活に入り、
初仔と第2仔ルイスデールの牡馬を産んだ。
余談だがトウメイがルイスデールのところに種付けに出かけたとき、
過去を思い出すようなトウメイらしい目にあった。
種馬場の係員が馬運車から降りてきたトウメイを見てトウメイと思わず
次のように言ったという。
「今日はトウメイという偉い馬がやってくる。すまないが後にしてくれ。」
牧場に戻った、トウメイは競走馬当時の気性が嘘のように、大人しく、
遠慮深い馬に成っていた、有る意味、本当の姿なのだろう
やはり、トウメイにとって、落ちこぼれ扱いされてた事への
つっぱり精神で走っていたのだろうか
柵の中で、二十頭もの繁殖牝馬の中で、いつも一番最後を付いて回る
新入りが入ってきても、新入りの後をついて回るほどであった
トウメイの馬主が亡くなり、牧場を閉鎖する事に成ったが
先代の意思を引き継ぎ、トウメイだけは、売らず牧場に残した
たった、一頭のための牧場であった、1頭だと寂しいので
遊び相手に、ポニーを買ってきて、一緒にしてやり
大切に、扱われた、そのポニーにさえ遠慮する、トウメイであった
1997 4/7(月)
71年(昭46)の天皇賞・秋、有馬記念を制覇した名牝トウメイ(32歳)が
北海道・幕別牧場で老衰のため死亡した。通算成績31戦16勝、4歳時は桜花
賞2着、オークス3着。大活躍した6歳時の71年は年度代表馬に輝いた。78
年秋の天皇賞馬テンメイを出し、母子制覇は史上初の快挙だった。
大川慶次郎のコメント
トウメイ 素晴らしい勝負根性があり、見た中で最強牝馬か!
そのⅡ トウメイの傑作テンメイの軌跡に続く
(このコラムは、吉永みち子「旅路の果ての名馬たち」、HPの情報、その他を参考に
私の、感想を織り込んで作ったものです)
トウメイの母は、トシマンナは、地方競馬で未勝利、底に流れてる血に
オーナは、期待を掛け、シプリアニにかけた、
まだタカツバキ、ヒカルイマイも出してない、無名の種牡馬だった
生まれたのは、小さい牝馬だった
後に、新聞で「ねずみのような馬」と書かれたほど
誰が見ても、みすぼらしい牝馬だった
でも、素質には期待はしてが、競りにかけても、結局売れず
誰も引き取り手は無く、何とか、安く売り、買い手が見つかったが
預かってくれる厩舎が、中々見つからなかった
やっと、預かってくれる厩舎が公営の大井に見つかった
しかし、調教師が亡くなり、振り出しに
競りの時、進めた中央の清水厩舎に、何とか入厩したが、
結局、厩舎の厄介者扱い、誰も、滅多に手入れもせず
担当の厩務員も付けて貰えなかった
ほったらかし、トウメイは牧場から入厩して、
今までの扱いとの、ギャップに、きっと、苛立ったのか、
気の荒い馬に成っていった、
それは、人間が落ちこぼれ扱いをされ、誰も信じれなくなったのと
同じなのだろうか。
それは、競走成績に現れる、優等生と扱われてきた馬たちのに
復讐とも言える、並み居る優等生に、噛み付いた
負けると、レースの後、悔しそうに首を上下にし、いつまでも
四肢を地面に叩き付けたそうだ
ねずみのような馬は、新馬戦で2着、続く新馬戦で初勝利
順調に、勝ち星を積み上げ、厩舎の期待の星に成った
この時、トウメイは、丁寧に扱われ、ピカピカの馬体に変わっていた
シンザン記念2着、京都4歳特別を快勝
いつしか、桜花賞の1番人気に支持される
桜花賞で、5番手につけたトウメイは、楽に先行馬を捕らえ
ゴールに向かった、それを待ってた様に、お嬢様育ちとして鍛えられた
ヒデコトブキが、今日のために生まれてきたとばかりに
久保敏騎手の水車ムチに応え馬体を並べた、虐げられたトウメイと
お嬢様育ちのヒデコトブキが、牝馬としては、異例の300Mの叩き合いを演じた、
スターホースの子ヒデコトブキを
フアンは、スーパーホースになる事を望んでいたかもしれない
内のトウメイは、外のヒデコトブキに、並ばれ小さいトウメイは
ほとんど、隠れて見えなかった、ゴールした時は、2分の1馬身
お嬢様が勝った、レコードタイムだった、これが、死闘を物語ってた。
負けた、トウメイは何時までも、興奮して、人間を困らせた
気持ちが落ち着かず、飼い食いが落ちオークスまで、休養した
一方、勝ったヒデコトブキは、右前脚を痛め、1年の休養に入った
トウメイは完調で挑めなかった、オークスは3着に敗れた。
その後休養したトウメイにまた不運が、清水調教師が亡くなり
佐藤勇調教師にひとまず転厩したが、成績が振るわず休養
トウメイと言う名前は、実は、高速道路の東名では無い
メイトウ(名刀)と、付けるとこを、受け付けれず、反対にし
トウメイにしたそうだ。
五歳になったトウメイは四度目の転厩し、
開業したての坂田厩舎には入る
自信をなくしたトウメイは厩舎の配慮で
骨っぽい相手にぶつけず、オープンで力試しをして行く
オープンで、天皇賞候補ダテホーライを破り
天皇賞とも考えたが、回避し、阪急杯に向かい
4着になり、脚を痛める、
復帰までは、半年以上かかる引退させようと言うことも考えたが
競走馬として復帰させる道を選んだ
フアンやマスコミに、まだ稼がせるのかと言う声も聞かれた
6歳に成ったトウメイは、オープンを使いながら
レース勘を取り戻していった、5戦目に昨年と同じ
マイラーズカップに出走し、ダテテンリュウ、タマホープという
牡馬の強豪と顔をあわせた、どん尻から、直線外に持ち出し
大きな牡馬を2頭を瞬く間に抜き去り、悠々とゴールインした
次のオープンでも、楽勝し、さらに昨年の無念を晴らすべき
再び、阪急杯に挑戦し、小さな牝馬が、58Kのトップハンデを
背負い、二十一頭の混戦を、物ともせず、強烈な末脚で、一蹴つして
四連勝を飾り、トウメイの強さはさらに増してきた
さすがに、もう走らすのは、可哀想という声は聞かれなくなった
天皇賞に、挑戦しようか・・・・・
百六十万で、ささやかな楽しみを求めたオーナーと
開業したての若い調教師は、だいそれた夢を、
闇の中の、一筋の光として捉えてきた
手始めに、牝馬東京タイムズ杯楽勝し
天皇賞に駒を進める
天皇賞挑戦を表明した時には皆びっくりした。牝馬に3200mはあまりに過酷。
ましてやトウメイはマイル戦での斬れ味を売りにする馬。
いくらトウメイが勝負根性に優れた強い馬だといっても勝ち負けは難しいのではないか?
その思いは騎乗する清水騎手も同じだった。
しかしさんざん悩んだあげく、清水騎手は極めて楽観的な2マイル克服法を編み出した。
「3200mといっても結局は2マイル戦。トウメイの得意なマイル戦を
2度走って来るつもりで乗ればいいのだ・・・」
果たして天皇賞で3番人気に押されたトウメイは
その言葉通りマイルを2度走ったのか、直線マイル戦のような鋭い追い込みを見せて
ダービー馬ダイシンボルガード・菊花賞馬アカネテンリュウ以下牡馬の強豪を
抑えて見事に天皇賞を獲得した。牝馬が天皇賞を勝ったのは
クリヒデ以来9年ぶりのことで、これ以降も昭和55年のプリティキャスト、
そして平成9年のエアグルーヴ(ただし2000m)ただ2頭しか記録されていない。
昭和四十六年十二月十九日有馬記念
トウメイの最後のレースだった
この時、私はもうすぐ二十一歳に成ろうとしてた二十歳の大学生だった
トウメイの印象は、切れ味と根性のあるマイラーだった
天皇賞を勝っても、まだ、有馬記念勝つまでは?
私は、春の天皇賞馬、メジロムサシに期待してた
一番人気菊花賞馬アカネテンリュウ、春の天皇賞馬メジロムサシ、
昨年の秋の天皇賞馬メジロアサマ、ダービー馬ダイシンボルガード、
トウメイは五番人気だった
皆が、この馬に期待しようと、競馬場についた時、思わぬものを
発見する、競馬歴は長いが、こんな事は、この時だけだった
なんと、出走取り消しが、二十一頭も居たのだ、馬のインフルエンザだった
その中に、有馬記念に出る、アカネテンリュウ、メジロアサマ、カミタカが居た
有馬記念史上初の六頭立てになった
私は、これで、メジロムサシでどうしようもないと思った
スタートして、3コーナーに掛かった時、馬群はスローペースの
団子状態、メジロムサシは中段、トウメイは最後方を何時ものように進んだ
4コーナを回ると、逃げたサンエイソロンに、長距離馬コンチネンタル、
ダイシンボルガードが、並びかける、本調子に無いのか、メジロムサシは
最後方に下がった、トウメイは大外に回り、いよいよ最後の坂にさしかかる
勝負どころに差し掛かった、トウメイは、何時ものように行くぞとばかり
尻尾を、グルグル回した
トウメイは、レースを知っていて、ムチなんか使うな、言われなくても走るよと
ばかりに、尻尾をまわす、下手にムチを使うと、走らないそうだ
尻尾を、三回、四回と回したトウメイは、今日も貰ったとばかりに
牡馬二頭に襲い掛かった、有馬記念の緊張感のせいか、騎手は使っては
いけないムチをトウメイに当てた、そんな事には気にもせず
二頭並ぶまもなく、ゴールした、正に完勝だった
私は、アカネテンリュウ、メジロアサマの居ない、有馬で勝っても
本当に強いとは、思わなかった
トウメイには、生涯この事が付回す、有る意味不運な馬である
戦後最強牝馬の称号を手土産に牧場へ戻ったトウメイは繁殖生活に入り、
初仔と第2仔ルイスデールの牡馬を産んだ。
余談だがトウメイがルイスデールのところに種付けに出かけたとき、
過去を思い出すようなトウメイらしい目にあった。
種馬場の係員が馬運車から降りてきたトウメイを見てトウメイと思わず
次のように言ったという。
「今日はトウメイという偉い馬がやってくる。すまないが後にしてくれ。」
牧場に戻った、トウメイは競走馬当時の気性が嘘のように、大人しく、
遠慮深い馬に成っていた、有る意味、本当の姿なのだろう
やはり、トウメイにとって、落ちこぼれ扱いされてた事への
つっぱり精神で走っていたのだろうか
柵の中で、二十頭もの繁殖牝馬の中で、いつも一番最後を付いて回る
新入りが入ってきても、新入りの後をついて回るほどであった
トウメイの馬主が亡くなり、牧場を閉鎖する事に成ったが
先代の意思を引き継ぎ、トウメイだけは、売らず牧場に残した
たった、一頭のための牧場であった、1頭だと寂しいので
遊び相手に、ポニーを買ってきて、一緒にしてやり
大切に、扱われた、そのポニーにさえ遠慮する、トウメイであった
1997 4/7(月)
71年(昭46)の天皇賞・秋、有馬記念を制覇した名牝トウメイ(32歳)が
北海道・幕別牧場で老衰のため死亡した。通算成績31戦16勝、4歳時は桜花
賞2着、オークス3着。大活躍した6歳時の71年は年度代表馬に輝いた。78
年秋の天皇賞馬テンメイを出し、母子制覇は史上初の快挙だった。
大川慶次郎のコメント
トウメイ 素晴らしい勝負根性があり、見た中で最強牝馬か!
そのⅡ トウメイの傑作テンメイの軌跡に続く
(このコラムは、吉永みち子「旅路の果ての名馬たち」、HPの情報、その他を参考に
私の、感想を織り込んで作ったものです)