2007 12/13 01:37
Category : テンプレート
2003・8・9、 カブラヤオー大往生
また、俺の競馬人生に足跡残した馬が、星になった
一番聞かれて困るのが、この馬とあの馬と、どちらが強いと思いますかと云う質問だ、特に昔の馬と比べてくれと言われると困る、今と昔は、馬場状態が全く違うからだ、昔は結構、今から比べると走りずらい馬場だったからだ。
でも、30年競馬をやっていて、最強馬はと聞かれて、無理に言へといえばこの馬しか居ない「カブラヤオー」 滅茶苦茶な馬だった
その時、「テスコガビー」と云う逃げ馬も居て、どちらも、「菅原泰夫」が乗っていた、こんな滅茶苦茶な騎手は居ないと思った
違う騎手が乗っていたら、もっと、楽に勝っていたと思っていた
「カブラヤオー」が、ダービの時のゴール前バテながら、2着「ロングファスト」を1馬身4/1退けた時は、レベルの低いダービと思った、しかし、その後ラップを見て、驚いた、こんな馬が要るのかと、ちなみに3着は「ハーバーヤング」若き日の岡部が乗っていた
他所で拾ってきた、記事を載せます
■カブラヤオーが大往生
8月9日(午後3時)、1975年の2冠馬カブラヤオー(31歳)が、
老衰のため繋養先の(社)日本軽種馬協会那須種馬場で死亡した。
同馬は1995年の種付を最後に、繁殖から引退して、
同場で余生を送っていた。
カブラヤオー(父ファラモンド、母カブラヤ)は1972年6月13日に
新冠・十勝育成牧場で生まれ、
1975年の日本ダービー、皐月賞の2冠を制し、
同年のJRA年度代表馬に輝いた。
戦績は13戦11勝2着1回(重賞5勝、
他にNHK杯、東京4歳S、弥生賞)。
種牡馬としてはミヤマポピー(1988年、エリザベス女王杯)、
グランパズドリーム(1986年、日本ダービー2着)、
マイネルキャッスル(1992年、京成杯3歳S)、
ニシキノボーイ(1981年、大井・東京王冠賞)などを輩出した。
種牡馬を引退して、余生を送っている30歳を越える馬は、
ノーザンテースト(32歳)、カシュウチカラ(30歳)がいる。
現役種牡馬の最高年齢は、ロイヤルスキーの(29歳)。
競走馬の日本での最長寿記録は、1996年に死亡したシンザンの35歳。
1972年生まれ、♂ 桁外れの逃げ脚を持った馬でした
彼は6月13日生まれと、サラブレットの中では極端に遅生まれであった。
そのために買い手がなかなか見つからなかったという。
カブラヤオーと聞けば多くのファンは、逃げ馬を連想するだろう。
そのように彼はとにかくスタートから前へ前へと
突き進んで圧勝する馬であった。
彼は、初戦は敗れたものの二戦目から9連勝した。
その9連勝の中には狂気の逃げとまで言われた
皐月賞、日本ダービーが含まれている。
ダービーで彼は最初の1000メートルを58秒6(普通は1秒強)という、
とんでもないハイペースで先頭を走った。
そしてそのままゴールまで先頭で走りきったのである。
彼がダービーを走った75年は、牝馬のテスコガビーとともに
逃げ馬のクラシックであった。
しかし、そのスピードが負担であったのかもしれないが、
菊花賞の前に左前脚屈腱炎を発症し、三冠の夢は絶たれた。
一年間休養したものの復帰後も屈腱炎を発症し、引退した。
彼の主戦騎手であった菅原泰夫騎手は、彼の引退後逃げた理由を明かした。
それは彼が他の馬を極端に怖がったからであったという。
主戦騎手や調教師は彼の現役時代にそのことをずっと隠していたのだ。
生涯成績13戦11勝と安定感も備えた逃げ馬であった。
「カブラヤオー」面白リンク
http://depo2002.hp.infoseek.co.jp/kaburaya/kaburayao-1.html
http://www5d.biglobe.ne.jp/~vivizo/page012.html
http://www.d1.dion.ne.jp/~guiru/dendou2.htm
また、俺の競馬人生に足跡残した馬が、星になった
一番聞かれて困るのが、この馬とあの馬と、どちらが強いと思いますかと云う質問だ、特に昔の馬と比べてくれと言われると困る、今と昔は、馬場状態が全く違うからだ、昔は結構、今から比べると走りずらい馬場だったからだ。
でも、30年競馬をやっていて、最強馬はと聞かれて、無理に言へといえばこの馬しか居ない「カブラヤオー」 滅茶苦茶な馬だった
その時、「テスコガビー」と云う逃げ馬も居て、どちらも、「菅原泰夫」が乗っていた、こんな滅茶苦茶な騎手は居ないと思った
違う騎手が乗っていたら、もっと、楽に勝っていたと思っていた
「カブラヤオー」が、ダービの時のゴール前バテながら、2着「ロングファスト」を1馬身4/1退けた時は、レベルの低いダービと思った、しかし、その後ラップを見て、驚いた、こんな馬が要るのかと、ちなみに3着は「ハーバーヤング」若き日の岡部が乗っていた
他所で拾ってきた、記事を載せます
■カブラヤオーが大往生
8月9日(午後3時)、1975年の2冠馬カブラヤオー(31歳)が、
老衰のため繋養先の(社)日本軽種馬協会那須種馬場で死亡した。
同馬は1995年の種付を最後に、繁殖から引退して、
同場で余生を送っていた。
カブラヤオー(父ファラモンド、母カブラヤ)は1972年6月13日に
新冠・十勝育成牧場で生まれ、
1975年の日本ダービー、皐月賞の2冠を制し、
同年のJRA年度代表馬に輝いた。
戦績は13戦11勝2着1回(重賞5勝、
他にNHK杯、東京4歳S、弥生賞)。
種牡馬としてはミヤマポピー(1988年、エリザベス女王杯)、
グランパズドリーム(1986年、日本ダービー2着)、
マイネルキャッスル(1992年、京成杯3歳S)、
ニシキノボーイ(1981年、大井・東京王冠賞)などを輩出した。
種牡馬を引退して、余生を送っている30歳を越える馬は、
ノーザンテースト(32歳)、カシュウチカラ(30歳)がいる。
現役種牡馬の最高年齢は、ロイヤルスキーの(29歳)。
競走馬の日本での最長寿記録は、1996年に死亡したシンザンの35歳。
1972年生まれ、♂ 桁外れの逃げ脚を持った馬でした
彼は6月13日生まれと、サラブレットの中では極端に遅生まれであった。
そのために買い手がなかなか見つからなかったという。
カブラヤオーと聞けば多くのファンは、逃げ馬を連想するだろう。
そのように彼はとにかくスタートから前へ前へと
突き進んで圧勝する馬であった。
彼は、初戦は敗れたものの二戦目から9連勝した。
その9連勝の中には狂気の逃げとまで言われた
皐月賞、日本ダービーが含まれている。
ダービーで彼は最初の1000メートルを58秒6(普通は1秒強)という、
とんでもないハイペースで先頭を走った。
そしてそのままゴールまで先頭で走りきったのである。
彼がダービーを走った75年は、牝馬のテスコガビーとともに
逃げ馬のクラシックであった。
しかし、そのスピードが負担であったのかもしれないが、
菊花賞の前に左前脚屈腱炎を発症し、三冠の夢は絶たれた。
一年間休養したものの復帰後も屈腱炎を発症し、引退した。
彼の主戦騎手であった菅原泰夫騎手は、彼の引退後逃げた理由を明かした。
それは彼が他の馬を極端に怖がったからであったという。
主戦騎手や調教師は彼の現役時代にそのことをずっと隠していたのだ。
生涯成績13戦11勝と安定感も備えた逃げ馬であった。
「カブラヤオー」面白リンク
http://depo2002.hp.infoseek.co.jp/kaburaya/kaburayao-1.html
http://www5d.biglobe.ne.jp/~vivizo/page012.html
http://www.d1.dion.ne.jp/~guiru/dendou2.htm