2014年03月の記事


恋しい桜



晴れの日が続けば、明日からずっと曇りや雨続き。
雨が降り続けば洗濯物が乾かない。

我が家の中古洗濯機は乾燥機等有る筈がない。
住宅地でコインランドリーも置いてない。

予報が外れてせめて3日に1度は晴れて欲しい。
本土ではソメイヨシノが咲き来月上旬が見頃では。

遠く離れて居てもソメイヨシノが気にかかる。
大きな木に桜の花びらをいっぱい咲かせ人の気持ちを和ませる桜。

あの時、後ろ髪をひかれる思いで静岡から東京に行く時も
満開の桜もひらひら散り始めていた。

桜は開花後一週間位で満開になり、それからは散るばかり。
一年待ってやっと咲いた桜の命は短く儚い。

山奥の桜を見ようと片田舎のバスの終点で下車した時、
谷底を流れる水の音、川の両岸には桜並木が有り、

そこに立っていると花びらが勢いよく身体にぶつかってくる。
風の強さも加わり思わずふらっと眩暈を起こすほど、

まるで弱虫の私を叩くように散っていた。
春なのに一人で生きていた私に風までも冷たすぎた。

会社に最終職する迄の間、生きる為にコックさんの手伝いをし、
慣れない仕事で痩せて40キロ以下になっていた。

あれから何回桜が咲いただろうか。
仄かに甘い香りを漂わせ、花びらが頬を優しく撫でてくれる。

あの時の山奥に咲く桜を見ても、今なら笑顔でお花見ができる。
静岡に住み慣れ友達もできたから。

3年後、主人に出会ったその日から彼の粘り強さに負け、
人を見極める事が出来なかった私は2年後に入籍をした。

何度裏切られたとしても人を憎んで何も良い事はない。
一生涯、信じられる人が居たらどんなに幸せだろうか。
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お彼岸
私、ふと思ったわ。
青春時代もなかったけれど、それは自分だけではないと。

叔母に高校の授業料を借りていた母の姿を見たりして、
大学どころか高校も何度辞めようかと諦めかけたか、

会社員の頃、「結婚を前提に交際して!」数人の人に言われ、
実家の為に相手の方を不幸にはできないと思い断る。

農家に生まれた同級生は、農業の手伝いで疲れると愚痴を言っていた。
「○○ちゃんはいいわね。」羨ましく思われた私。

皆、自分の思いとおりに生きている人は居ないのではと。
幸せを得る為には高い高い塀があった。

それを乗り越えようと諦めたり、あがいたりして、
いつの間にか、辛い苦しい道に迷い込んでいた。

運、不運もあるけれど過去を恨んでも仕方がない。
ほんの一瞬でも笑顔になれたら、

そして、その時その時の暮らしのなかで幸せを見つけなければ、
一生、私は幸せを知らずに終わってしまう。

良い年をして恋をしている主人を見れば腹も立つ時もある、
でも遊べるのもそう長くはない。

残りの人生を少しは楽しく生きて欲しい。
彼が思っている事を察して先へ先へと行動すれば機嫌も良かった。

この頃の私は横着者になってしまい、
彼のために美味しい食事を作ろうとは思わなくなってしまった。

そう言っても自分に与えられた家事はしない訳にはいかない。
昔から専業主婦になるのが夢だった。

ただ、幸せは中々つかめない。努力が足りないのだと思う。
今の彼に尽くしたいという気持ちも薄れている悪妻である。

牡丹の花が咲く春に食べるのをぼた餅、秋の萩の花が咲く頃食べるのはお萩。
昨日、お萩を少し作った時に自分なりに単純に考えた。
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春の川



春の川辺には1月下旬から菜の花が咲き続け、
すみれやたんぽぽがふわふわふわりと咲いている。

故郷では若草が伸びて4月には草取りを始め、
玄関先の血潮紅葉が真っ赤に紅葉する。

春の日差しのなかに秋も見えるような光景を感じながら、
かさかさ枯葉のように風音をたて血潮紅葉が揺れていた。

淡いピンク色の蓮華の花が広大に広がり、
フラワーパークにいるようで春って大好き。

故郷の川の水は澄んで勢いよくざぶざぶと海へ流れ、
広大な海が川の水を「ようこそ。」出迎えてくれる。

三月下旬には川の両側で桜が満開になり、
様々な花が咲き、夢を見ているような光景が目に浮かぶ。

春は冬と夏の間で3月から5月迄の3ヶ月をいう。
次第に昼が長く夜が短くなり、1年で最もすごしやすい時節。

寒さの厳しい地方の人達はどんなに春を待ち焦がれていたか、
まだ雪が降る地域は、もう少しで春に出会えると思う。

厳しい冬に絶える事なく南国に居た私には満開の桜は見られない。
冬の間、南国に居たのだから仕方がない。

整形や歯科通いはしても交流の場に出かけない。
警戒心が強いのか今年も話し相手は居ても親友はできなかった。

今冬は例年よりも雨が多く肌寒い日が続き、
沖縄の人達も今年は寒い、と言っていた。

以前住んで居た近くにある安里川の水も陽光で光っていた。
残り少ない沖縄生活にもっと慣れて来夏は一人で暮らしたい。

そうするには覚悟して強く生きなければならない。
気の弱い今の私は戸惑うばかり。

南国はつつじ祭りも終わり明日は石垣島で夏日になる。
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春めく
昨年より冷んやりとする日が多かった今冬。
週に2日位しか晴れなくて雨の降る日が多かった。

久しぶりに晴れて喜ぶのも束の間、
昨日からしとしと静かに春の雨が降っている。

風が吹く度に絹ずれの如くさらさらと音を奏でるように。
深夜未明、何の音? 耳を傾ければ激しい雨に変わる。

2回くらい雨音に目覚めながら直ぐに眠ってしまう。
こんな朝は寝坊をしていたい。

今朝は午前6時10分起床。外は小雨が降る程度だった。
その後ずっと曇り空の一日になる。

空き地には名も知らぬ白い花が咲き始め、
様々な草花の芽が出てまさに木の芽の三月。

芍薬の芽、菖蒲の芽、桔梗の芽等が出て、桜咲く前は
さくらんぼの花や菜の花がいっぱい咲き誇り辺りが明るくなる。

買物途中、庭いっぱいに花が咲いている一軒家が有り、
朝顔が綺麗に咲く光景には驚く。

昨日は北陸の春一番に続き、今日は九州南部と奄美地方で
春一番の発表があった。

いよいよ春の嵐の到来となり、とても嬉しい。しかし、
低気圧の影響で関東方面では風が強まり雨も激しく降るらしい。

そそっかしい私は洗濯物を両手で洗面所に運ぶ途中、
身体全体で転んでしまい、5分位起きる事もできず慌てゝしまった。

私の足は主人の机の横まで伸びていたが、
彼は知らん顔をしていた。

この時、彼の薄情さを思い知ったが自分の不注意が原因、
立ち上がって何もなかったように動いていた。

幸いな事に額に小さな瘤と両膝が赤く腫れただけで
多少の痛みは我慢をするしかない。

177センチの彼いわく「重くて起こせない。」46kの私を動かせない
はずがない。愚かな自分が惨めに思えた。
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虫も出られぬ寒さ


2月1日から23日まで東村で32回つつじ祭りが始まり、
やんばる(沖縄県北部)の春を彩るイベントとして県民の間で定着している。

「村民の森つつじ園」では、約5万本のつつじが美しい。
隣接する「つつじエコパーク」にはバンガローがあり宿泊もできる。

うっそうと茂る小高い山道を行けば名も知らぬ小花が風に揺れ、
その先には数えきれない程の美しいつつじが咲いていた。

2年前、自然がいっぱいのつつじ咲く山でお弁当を食べ、
澄んだ空気を吸って喜んでいた。

そして6日は二十四節気の一つ啓蟄、冬眠していた虫達が動き出す時期。
日本人が「さぁ働くぞ。」意気込み始める日ともいう。

文字通り地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、
草木が芽吹くと同時に地上へ這い出してくる頃。

しかし、京都府北部も未明から雪が降り始め、山々は雪化粧になった。
毎年、福知山市三段池で行う松のこも外しは10日に延期されたらしい。

真冬並みの寒さでは虫も這い出てこられない。
北海道や東北の日本海側では暴風警報が出て強風が吹いているとの事。

3月なのに12月から2月の寒気に匹敵する最強レベルの寒波らしい。
等圧線が非常に込み合っている事が厳しい寒さを物語っている。

この厳寒が長期滞在するとの予報を聞いて、
春が少し遠のいた感じがする。

昨年、北海道で奥様を亡くした男性が9才の一人娘を守る為、
子供が呼吸できる空洞を作り薄着のままで猛吹雪のなかを、
10時間も子供に覆いかぶさり助けて、亡くなった父親の話を思い出す。

命尽きるまで子供を必死で守ろうとする父親の心境を思えば
悲しくて胸が詰まり涙が。。。

お仕事をしながら家事も子育てもする位の真面目な人、
この父親は子供にいっぱいの愛情をもって育てゝいたと思う。

どの親も子供が思うよりもずっと子供を思い、
深い愛情をもっている事が判るような気がする。
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あの日の出来事
今日は、今年初めての25度の夏日。
10キロに満たない買物の荷物が左腕に重く感じた。

いつもとは違う蒸し暑い日中、公園まで歩いて鍛えようと
歩き始めたものの急な坂道を登っただけで嫌になってしまう。

横着者の私はバスに乗って公園に行き、
次は必ず公園まで歩きその次は往復しようと思うのは簡単。

三月になると糖尿で高血圧が下がらず風邪をこじらせた母が
亡くなった時を思い出す。私が29才3月のこと。

私は11才頃から家の為にバイトで働き、そんな生活が嫌になり、
23才から離れて暮らしても金銭の催促がくる度両親が嫌いになっていく。

母が亡くなる事も知らずに両親のお小遣いを速達で送った翌日、
叔母に「○○ちゃんからお小遣いが届いたわ。」

あの現金封筒を母はそっと胸に抱いてくれた話を後で聞いた。
この時は催促はなかったが、仕送りをする時期だと思い
自分の意志で何時も通りに郵便局に立ち寄った。

4日の午後6時、私は母が亡くなった電話を会社で受けて、
亡くなる程悪いのなら何故、私に教えてくれなかったのか、

父を叱りたかったが疲れた父を見れば怒る事もできず、
亡くなる前に危篤ですと電話が欲しかったと一言話す。

母の綺麗な顔や身体を見て父の5日間の介護に感謝をし、
父の事業の失敗で苦労続きの母の身体をアルコールで拭いた。

その夜から1週間の葬儀関係の支払いは私が全額支払うのは、
当然の事だと思っていた。

あれは桃の花を用意していた桃の節句の頃の出来事。
老朽化した家を離れる事を嫌がる父と一旦別れて住まいに戻った。

その後も会社の仕事時間を増やし土、日はアルバイトをし、
催促をする父に金銭を渡すうちに「これで最後にして!」

強い事を言ったあとに背中が小さくなった高齢の父が哀れで
涙がいっぱい溢れた。

父は72才まで会社勤務をするほど健康な身体と真面目さが立派だと思う。
一緒に住んで本当の親孝行がしたかった。
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