2011年03月の記事


さようなら2011年3月
昨年の四月上旬には満開の桜が咲き誇り、
眼の前まで桜がふわふわと微風に揺れていた。

明日から四月がくると言うのに蕾が膨らむ程度で
桜並木を歩いてもちょっと寂しい。

桜が咲くと必ず一緒に血潮紅葉が色鮮やかな赤に染まり、
その後、れんげの花が夢のように広がっていた。

こんな光景は遅くなっても必ずやってくると思う。
日本には四季が有るのだから。

今日は、大根、じゃが芋、蒟蒻、おでんの材料、お醤油等、
重い物を両手に持って歩いて買物に行って来た。

遠回りをする余裕はなくて近道を歩いて家に帰れば、
東北地方に震度5の余震がきて心配をしていた。

毎日のように東北関東に余震がきている。
余震がくる度に「恐い。」と泣き叫ぶ幼子、老人を見て、
私も余震が揺れゝば震度3,4でも恐怖感がわいてくる。

これ以上大きな余震はこないで欲しいと青空に願う。
東北の人達は心棒強い。避難所にいる人は遠慮しないで貰いたい。
一日も早く暖かい場所で生活して欲しい。

夢にも思わぬ自然界の変動によって大地震が起こり、
今、日本は復興に向けて懸命に頑張っている。
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一日も早い復旧を
日中は青空が広がり暖かくなると思っていたけれど、
春なのに朝晩は寒い。

石巻市大川小学校生の7割が津波で亡くなった。
これから将来が沢山ある子供達の事を思うと
悲しすぎて涙が止まらない。

私があの子供達の親ならばショックで立ち直れないと思う。
しかし、親も生きなければならない。

どれくらい辛いか、計り知れない。
苦しみを乗り越えればいい事があるから頑張って!

地震と津波は悲しい結果に終わったけれど、
福島原発の復旧作業は終わっていない。

福島原発と浜岡原発は2号機が同じらしい。
違いは、浜岡原発は海の前に10mの砂丘がある。

更に砂丘の奥に12mの防波堤を作るとの事。
どの原発も福島原発事故を教訓にしていると思う。

東京電力だけではなく、其々の所で福島原発を早く
復旧させるように急がなければと心配してしまう。

勿論、福島原発の人達は命がけで作業をしている事は、
判っていても、過去に例のない出来ごと故に。。。

被災地に住んでいない人達も色々な問題を抱え、
私も、待ち兼ねた春にため息ばかりついている。

今夜も福島県沖に余震があり、被災地の人は地震がくる度に
恐いと聞いた。我家の台所の電灯も微かに揺れた。
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日本中に春がくる日は。。。
四月まで後わずかという割には冷え込む今朝6時起床。
大地震が起きてから午前0時前に眠った事はない。

殆ど午前0時過ぎか一時頃まで宵っ張りをしている。
夜明けが早くなり午前五時半には目覚めてしまう。

朝晩は気温が低くても日中の日差しは暖かい。
コートを脱いでカーディガンだけでも身体を動かせば汗が出る。

冬は運動不足になっていたので増えた体重を減らす為にも
自転車に乗らず毎日、その日必用な買物も歩いて行く。

帰りに遠回りをして自然がいっぱいの川沿いを歩き、
草木の芽吹きに春がきたと思う。

コンクリートの隙間から紫色のすみれが顔を出し、
植えてもいないチューリップの葉が延びてきた。

東北の人達も必死で頑張っている光景をテレビで見て、
厳しい現実にも負けない我慢強さに頭が下がる。

東北が元気にならなければ私達も元気になれない。
日本は絶対に立ち直ると信じたい。


photo by sakura1205 from
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福島原発の復旧を願って       
東北関東大地震で大変な事が起きてしまった。
巨大地震で多くの大切な命が失われ、
過去に経験のない出来ごとに不安になる人達。

団結。努力。創意工夫。が有れば大丈夫と言う人がいる。

しかし、福島原発2号機から放射性物質の濃度が
約1千万倍になってしまった。

東京電力で放射性物質の漏えいの原因を調べているが、
放射線がかなり強いとのこと。

1、電源の復旧、
2、中央制御質の復旧、
3、冷却装置の修理、
4、核燃料を冷やす、
5、漏れを封じ込める    。

これは、原発内の事で外まで飛んでいる訳でじゃない。
速やかな情報を住民に説明して貰いたい。
こういう説明をテレビで聞いていた。

福島原発の状況は日々、変わっているので
覚えきれない。

三月上旬には、こんな悪夢が起きるとは
誰も想像もしないで暮らしていた。

被災地の人達に自分で出来る事をしてあげて
希望を捨てずに一歩ずつ前に進んでいきたい。
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青空に感謝 
今日も冬型の気圧配置が続いて北海道や日本海側は雪、
東海地方は晴れて青空が広がっている

富士山は中腹まで雪化粧をして
山肌はくっきりと山道まで見えている。

雨上がりの風景は全ての物が色濃く見え、
あの山に五月上旬には竹の子掘りに行っていた。

こんなに奇麗な真っ青な空の下を歩けるなんて
幸せだと思わなければ。

菜の花は散ってしまった場所、二か月間ずっと咲き続ける場所、
特に日当たりのよい場所は明るく咲いている。

今春は桜も一部の街で開花しても、
我が町は海風が冷たい為か、まだ咲いていない。

例年よりずっと開花が遅れる感じがする。
暫く咲かずに東北関東と同じ頃に一緒に咲けばいい。

埼玉県加須市のように被災者を受け入れ、
1つの街が産まれたと聞き、
私の顔も知らぬ間にほほ笑んでいた。

被災地で色々な問題で苦しむ人達の事を思えば、
私等はずっと幸せだと思いたい。
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雨空
春なのに冬が戻ったような雨が降っている。
音も無くしとしと静かな雨なのに肌を突き刺す。

それでも樹木の茶色い若葉の上に
雨粒が水晶のように光って見える。

ざぶざぶと流れる川沿いを歩けば、
海へと向かう水の音が何時もより大きく聞こえた。

私の五感は全て眼に集まり、
山々を眺めたり隠れて見えぬ富士の方を見ていた。

山々の向こうに雪国が、
富士の向こうに東京が見えるような気がしていた。

でも何も見えない。
私は雨空に佇む一個の物体である事に気付いた。

今年も春がやってくると思っていたけれど、
東北関東大地震が起きて、今迄の春とは違う。

それでも、被災地も被災地ではない町にも春がきて欲しい。
東北関東の人達は凄く疲れている事は当然のこと、
他の地方の人達も疲れているのだから。
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お彼岸明け 
お彼岸明けの冷え込む今朝、6時起床。
昨日に続き今日も午後から外出していた。

外出先で、福島原発の3号機から黒い煙が出たと聞いていたが、
火は見えていない。

5号機では、原子炉を冷却させる為のポンプが停止した等と、
次々に起こる事態に自衛隊や東京消防庁等が放水し、
プール内に水を入れていた。

被災地は、少しずつ復興の兆しが見られ、
ライフラインも復旧した仙台の人は喜んでいた。

がれきの中から再出発する光景を見れば
頑張ってと!応援している。

原子炉は余談を許せない状態、
でも、被災地の人々が不安に陥る事が心配でならない。

静岡県の医療チームも明日、心のケア―等をするため、
岩手県に出発した。

東海地震も何時くるか判らないので人ごとではない。
定期点検中の静岡浜岡原発3号機も来月は運転再開する。

温暖な町も、朝晩は冷えてお彼岸明けとは思えない程
風が冷たいのだから東北の寒さは厳しいと思う。

庭のさくらんぼの花は散り、
青葉が少しずつ出ている。


photo by from <A
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買いだめは辞めて! 
浜松市は、ガソリンを使わなくても良いように市民から
自転車を720台集め、400台を東北に送った。

被災地の人の言葉で印象に残っているのは、
「ガソリンが欲しい。」車がなけれな動けない、
寒いから灯油が欲しいとの事。

そして富士市周辺には、富士山に降った雨や雪が地下水となり、
豊富にわき出して、富士川の地下水も豊富にある。

製紙工場は、水を大量に使用する為、
豊かな水資源に恵まれた富士市は、工場を建てるのに都合がよかった。

又、鉄道や港、高速道路等の交通手段が発達しているので、
原料や燃料.、製品を運ぶのに便利である。

東北関東大震災で紙類を被災地に送れて良かったと思う。

私も被災地の事を考えれば買物に行っても
その日に必用な物だけを買う事にしている。

二人の女性がお水のまとめ買い、トイレットペーパー、
パン類等を大量に買う光景を見て他の主婦が不満をもらしていた。

買い溜めは被災地の支援の妨げになるので辞めて欲しい。
昨夜から雨が降り続けて気温の割には冷たく感じる。

桜並木を歩いて来れば枝から桜の蕾が膨らむ光景と、
被災地にも一部の町だと思うが桜の蕾が見えて
東北に明るい春がくる事を願っていた。
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春分の日
昨日、宮城県石巻市で奇跡的に救助された二人(80才、16才)の
ニュースを聞きながら、感動して目頭が熱くなった。

津波に流された家の台所の中で冷蔵庫に有った食物を
少年が見つけて生き延びる事が出来たという。

少年は低体温で片足の感覚がないという。
記者の質問には、「余り覚えてない。」の言葉が気になった。

恐ろしい体験をした後は心のケアーが必用になる。
でも、二人とも今のところ健康に問題無いとの事。

こういう奇跡的に助かるかも知れない人達がまだ
居る可能性が有ればいい。

一人でも多くの人が救われゝば、そして被災された方は、
助かった命を大切にして早く元気になって欲しい。

今日は、「自然を称え、将来の為に努力する日」と法律で定められた
春分の日、その日付は祝日法の上では「春分日」としてある。

昼と夜の長さが同じになると言われるが、
実際は昼の方が長い。でも私は、大体同じ長さだと思っている。

とんでもない大地震、大津波が起きてしまい、
昨日、ソメイヨシノが静岡で一番早く開花しても
喜んでは居られない。

春雨ふる中、さくらんぼの花もひらひら風に舞い散っていく。
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お墓参り
今週は被災地を真冬並みの厳しい寒さが襲い、
ガスも電機もなく、灯りさえままならない状況の中で、
厳しい寒さを凌ぐ光景を見れば気の毒でならない。

一刻も早く最低限、暖をとれる環境、対策が進む事を
祈るばかり。

今日も我が県から県消防援助隊186人が被災地に向かい、
福島県いわき市を中心に活動する予定。

今日は、19度と気温が高くても風が強い。
物凄く花粉が飛んでガラスは黄ばんで汚れ、
池の水も花粉で細かい粉が広がっている。

午後からお彼岸の入りの為、主人に依頼して
お墓参りに行って来た。

お墓には人気もなかったが既に奇麗にお花を飾ってある家も有り、
枯れたままの家、造花で飾った家も有った。

お墓を奇麗に磨き、香花とストック、菊等を飾り、
お線香は風で火が付かなかった。

「天国で幸福に暮らしていますか?」
お爺ちゃん達を供養した後、立派だったお爺ちゃんに
主人と次女の事をお願いした。

帰りに彼とあの恐ろしい海に立ち寄れば、
何事も無かったように濃ブルーの美しい海が広がっていた。

この静かな海が、東北を襲い恐ろしい津波となり、
大勢の人の命をのみ込んで知らん顔して波音をたてゝいる。

流石に海は人影もまばらで数人の人が海岸を散歩していた程度。
彼の説明を短めにして貰い、海から離れたくて急いで帰宅した。

東北関東大震災が起きてから、海は美しさの裏側に
恐ろしさをもっている事をみせつけられた。

大津波で逃げながら亡くなった人の気持を考えれば、
ここに生きている私は一緒懸命に頑張り
感謝して暮らしたい。
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大地震の福島原発への影響
東北関東大震災で被災した東京電力福島第一原発3号機の
使用済み核燃料プールを冷やすため、

陸、海、空自衛隊による放水が始まる光景を
昨日は真剣に見ていた。

原発の心臓部を冷やすのではなく、
使用済みの核燃料プールに放水をしていた。

放水は3号機に届いたと聞いた時一瞬、嬉しかった。
一生懸命やってくれている事が伝わり、応援している。

只、核燃料プールに達したかは不明との事。
冷やす事の大切さを再確認する。

東北関東大地震で水位が低下した使用済み核燃料プールへの
17日の放水の結果は「水蒸気量が減っているようだ。」
一定の効果があったとの見方を示した。

今日は、お彼岸の入りなのに
温暖な町も凄く冷え込んだ。

青空に白い雲が浮かんで微かに風がすうすう吹き、
さくらんぼの花も散っていく。

昨日迄の強風は止まっても空気が冷たい。
窓を開ければ桜のような花の香りがすーっと入ってくる。

このまま北国の空に飛んで花の香りを届けてね。
すると、ふわふわ白い雲と一緒に青空に飛んでいった。

枝からどんどん花が散りはじめ、
これから青葉が出てくる。

今冬は、長い間、雨が降らなかったので枝も枯れていた。
花も例年よりか弱くて小さい。

でも枯れ枝から咲いてくれた。
花を咲かせる事は無理だと思っていたけれど、
咲いてくれて有難う。
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被災地の皆さん、頑張って 
昨夜、午後10時31分、富士宮を震源とする震度6強の地震が起きた。
この地震は、東北沖、東海沖地震とは違い、
直下型の地震だった。

地震の恐怖感を抱いている私は、急いでバックを背負い、
「地震よ!」柱につかまりながら主人に声をかけた。

震源地が富士宮のため、津波がこない。
海沿いに住む我家は、東海沖地震がきた場合は大津波がくると思う。

東北の被災地で避難生活をする人が34万人に達した。
雪がふる寒空に灯油が足りない。

水素ガスが漏れ出て爆発した福島原発1号機、
翌日は2号機。

点検中で火災を起こした3号機、そして
今朝、4号機で火災が起き
燃料を冷やせない為に火災が発生したらしい。

専門家は、まだ色々な方法で冷やして事故を終息させる事が
できると言う。

何より大事な事は水を入れる事と聞いたが
使用済み燃料を冷やすのが大切とのこと。

静岡も浜岡原発があるので人ごとではない。
疲労が溜まり被災された人達の光景を見る度に
涙がこぼれる。
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冷え込む夕方 
夜明けが早くなった今朝5時起床。
午前6時に表どうりに可燃ごみを出した頃、

富士も山々も鈍よりした曇り空に隠れて
何も見えなかった。

薄日が時々さす晴れの日中、
大量の花粉が飛んで空が汚れていた。

家事をしながら地震関係のニュースから
目が離せない。

その間、町会の20件前後の組の役員の為、
東北地方太平洋沖地震の募金をお願いして回ったが、
昨日からの2日間で8件くらいの募金をして頂いた。

東北が近ければ家にある物や食糧等を運んであげたい。、
でも私には募金をする程度しか出来ない。

被災地で運よく助かっても、大地震から逃れ、
大津波で命拾いをして、
今度は原発の爆発で20キロ逃げその後30キロ逃げた人いわく、

「いつまで逃げれば、、、疲れた。」との事。
助かっても生きる事に疲れ果て気の毒でならない。

静岡からも援助隊、保健婦さんが被災地に向かった。
大地震から助かった人達の不安は増している。
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日本が好きだから 
東日本大震災を受け、「不屈の日本」と米紙は称賛した。
「日本の産業力は依然として偉大だ。」と述べた。

「日本人の忍耐力や冷静さ、秩序は実に高潔だった。」と
説明し、「今後、それらが示されるだろう。」と期待を述べた。

英紙は日本語で「がんばれ東北」と書いて有ったらしい。
中国も「冷静」と絶賛し、
「マナーは世界一、民度の高さ、世界の人々に印象残す」との事。

スイス、ドイツ等、続々と支援隊が来日した。
日本人が誉められると単細胞の私は嬉しい。

東北関東大震災は、昨日、大地震警報、大津波警報も解除され、
ほっとしたものの、死者や行方不明者がどんどん増えている。

今日から町内の募金活動が始まり、
私は、一回目の募金をした。

宮城で被災を受けた方は、ストーブ、灯油、お水、食物が
欲しいと言っていた。

福島第一原発二号機、放射能含んだ水蒸気放出し、
安全対策の想定外の出来ごとが起きた。

被災した方達は、頑張って生きぬいて欲しい。
明日から再び、気温が低下するのでインフルエンザ等に
ならないようにと願うばかり。
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一人でも多くの命が。。。
三日も続く大地震、大津波、余震で
被災地の人達は身体も心も疲れている。

科学の力も地震には勝てなかった。
雪がふる東北では「ストーブが無ければ生きられない。」
お年寄りの人が言っていた。

東海地方は晴れて18度も気温が上がり、
四月並みの暖かさになった。

さくらんぼの花が梅のような香りを漂わせ、
8部くらい咲いて桜のように美しい。

この暖かな日差しを東北の人達に届けてあげたい。
身体の弱い人は、朝晩の冷え込みも大変だと思う。

一人でも多くの命を救って欲しい。
孤立した人は救助隊が行くまで頑張って欲しい。

海沿いに住む私も津波の恐ろしさを改めて知り、
出来る事なら、もう海の傍には住みたくない。。。。
そう思っても簡単に引っ越しは出来ない。

マグニチュード9の大地震、
三日以内にマグにチュード7以上の地震がくると専門家に聞いた。

本当に予想もしない大地震に驚くばかりで、
今、被害も無く暮らせるだけで感謝をしなければ。
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大地震、大津波
昨日、午後3時前に横揺れがきて
中々止まらなかった。

一階に下りて主人に声をかけても平気な顔して
PCをしていた。

池のホティ草がぐらぐら揺れている光景が目に入り、
恐怖感がわいてきた。

「避難して下さい。」との連絡を貰い親友夫婦と非難して、
小学校に行けば二百五十人くらいの人が避難していた。

私は、昨日の午後6時過ぎに帰宅し、
避難をしない主人に軽食を作り、
その後、ずっとテレビに目を傾けていた。

深夜になっても中々眠れず午前一時過ぎに
疲れて眠ったと思う。

宮城県、福島等、東北中心に大きな地震、
そして恐ろしい津波が沢山の人達の命を奪った。

被害を受けた人達に何をしてあげられるだろう。
あの地獄のような津波を産まれて初めて見てショックを受けた。。

大津波は物凄い勢いで家も車も全てをのみ込む威力。
流されたのは木造家屋ばかりだった。

この地震が夜ならばもっと被害が大きいかも知れない。
同じ規模の地震が東海地方にきてもおかしくはない。

東北地方太平洋沖地震は、
三陸沖を震源に国内観測史上最大の地震との事。
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夢見月
冬型の気圧配置になり、再び冬が戻ったように風が冷たい。
一月下旬から咲きはじめて、
四月迄ずっと咲き続ける菜の花の川沿いを歩いた。

数日前に春がきたように暖かい日が有ったのに、
今朝は身を切るように冷たい風が体にぶつかってくる。

一年を通して桜咲く春がくる前の三月が
一番いい時かも知れない。

命の短い桜が散ったあとの侘しさは嫌だわ。
桜の名所は近くに沢山あるけれど、
毎年のように近隣市までお花見に出かけていた。

暖かくなり、植物が目に見えて生き生きとし始め、
蝶が舞い、桜を思い、夢見心地で居られるから、
春眠暁を覚えずなので夢見月なのだろうか。

桜の事を夢見草とも言うので夢見月と呼ばれるのかも。
この寒さでは河津桜が例年より二週間も開花が遅れた。

桜も例年より開花が遅れるという訳ではないらしい。
年度の切り替えで町内婦人会の引き継ぎ等で忙しい。

三月は、高校の卒業式で泣いた事を思い出す。
社会に出たら自分はどうして生きて行こうか、

両親に楽な生活をさせてあげたい等と色々な思いで
胸がいっぱいになって泣きながら卒業式の歌を唄っていた。

友達は大学や短大に進み、卒業式と同時に友達と判れ、
少しの希望と緊張をしながら会社に入社した。

入社後は仕事に生き甲斐を持ち、素敵な人達に囲まれて、
他の高校や大学からから来た人達との出会いも有った。
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早春の日差し

photo by sakura1205 from

今朝は何時も通りに6時起床。
午前8時、町会長さんから主人に会計の件で電話が有った。

税務課で四年くらい仕事経験のある主人は
確定申告を手早に書き込んでいる。

昨日、花粉が飛び散る昼下がりに友達がバーゲンにと
誘ってくれたのでデパートに3時間位時間を費やした。

洋服売り場は既に春一色に飾られ、
3月では暖かい冬もの等無かった。

今年は金色の物を身につければ運が向くと聞き、
金色のお財布を買い求め、洋服は相当歩きまわっても
買えなかった。

友達は、洋服を何枚も買っていたが、
私は、気に入った洋服が見つからず一枚も買えない貧乏生。

日本海側は雪が降っている為、
冬型の気圧配置に戻り、風がとても冷たい。

冷たさの中に青空を見れば、早春の日差しが降り注いで、
暖かな春はそこ迄きている。
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啓蟄になり 

photo by sakura1205 from

昨日は、二十四節気の1つ啓蟄。春の暖かさを感じて、
冬ごもりしていた虫が外に這い出てくる頃の事。

啓は、開く、開放する。蟄は冬ごもりの為に虫が土の下に隠れる事。
今冬は、昨年暮れから40日以上も雨が降らなかった。

そして厳しい寒さの為、虫はまだ出てこない。
庭のサクランボの木に桜のような花が一ひら二ひら咲き始め、
その花びらも例年より小さいような気がする。

花びらの色はソメイヨシノに、形は梅に似ているので、
家でお花見が出来るなんて本当に嬉しい。

昨日は18度も気温が上がっても風が強いため、
山から花粉が大量に飛んでいた。

金魚や鮒にお魚の粉を餌にあげて居る時、
その粉と同じような物が池いっぱいに広がって
よく見れば花粉だと私なりに思った。

もう近所の梅の花は散ってしまい、
ほのかに甘い香りのさくらんぼの花が一週間も経てば満開になる。

昨夜から雨が降り続き、今朝5時起床した頃も雨だった。
ひと雨ごとに春めいた雨が降り、柔らかな風がふわっと
吹いてサクランボの花が小さく揺れた。
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浅春のひとり言
昨日、午後11時頃に主人が帰って来た。
私は、起きていたが湯ざめをしたのか背中がぞくぞくし、
お布団に入っていた。

普通なら「お帰りなさい。」と出迎えていたのに、
知らん顔をして先に眠ってしまった。

それでも、入浴すると思い、下着やパジャマを用意し、
5日間の電話連絡や町内行事の連絡をメモして
机の上に判るように置いた。

今朝も疲れているとみえ、午前9時過ぎに起きて来た。
私が、「あら、どなたですか?」とぼけていたら
何時もと同じ口紅と人形焼きのお土産をを頂いた。

海外に行った時は必ず口紅がお土産になっているので、
家に居る時は化粧水と口紅だけでお化粧はしていない。

お化粧しない代わりに、洗顔石鹸で汚れを落とし、
マッサージクリームで肌の手入れをしている。

お化粧する場合は旅行や外出する時と、
紫外線の強い時だけ薄化粧をする程度。

花粉症のひどい主人は鼻水をずるずる流して、
わわわ等とおかしな声を出して苦笑いしている。

一人で居た方が気楽で自分の好きな食事をしたり、
友達が来てくれたりしてのんびりできた。

只、物騒な世の中で用心棒代わりにいて貰いたい。
こんな人でも居なければ苦労するかも知れない。
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冷え込む朝 

photo by sakura1205 from

朝寝坊の私が、今朝は5時に目覚めてしまい、
午前6時過ぎに可燃ごみを出した後、
子鷺のような鳥を見つけた。

私は、子鷺のような鳥が早朝からくるはずがないと
不思議に思っていた。

何時ものように小川を飛び越え、
土の中の雑草や生物を見るつもりで水田に入った。

泥は思ったより深くサンダルが中々抜けなくなり、
力を入れて足をあげたら泥だらけになっていた。

その頃は、東の空が茜色に染まり朝日が昇る前で
視界も悪かったのだから日中に行けばよかった。

友達が来てくれ、そんな事を話すと笑われたが、
何故、あんな子供じみた事をしたのか、
昔からのお転婆癖がまだ直らないと苦笑する。

三月迄は町内の役員が有る為、四月上旬に開催される
「桜祭り」の回覧を回してきた。

「桜祭り」はカラオケや舞踊等、出場する人を募集しているが、
何となく明るい春がくる感じがして嬉しい。

河津桜も、最近の雨続きで散ってしまうかも知れない。
主人とよくソメイヨシノが咲く前に見物に行ったもの。
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雛祭り
あの日、会社で残業をしていた時、一本の電話が鳴った。
母が亡くなったとの連絡だった。

お正月の頃はまさか亡くなるとは夢にも思ってみなかった。
風邪をひいた事が原因だと叔母から聞いた。

それにしても、「叔母さん、何故もっと早く教えてくれなかったの?」
「風邪で亡くなるとは思わなかった。」との事。

あの頃の私は29キロまで痩せ細っていたが、
糖尿を病んでいた母はもっと痩せていた。

青白い顔をして亡くなる5日前まで自分でトイレに歩いていた程、
気丈な母も最後は父を頼りに生きていた事が判る。

生前の母に、「一度でも入院して!」私がいくら勧めても、
我儘で「検査が嫌だわ。」強情な性格が直らないため、
早く亡くなったのかも知れない。

父の事業が失敗した後は夫婦喧嘩をする光景を見た時、
仲の悪い夫婦だと子供ながらに思っていた。

晩年は、最後まで母を愛してくれた父に、
「お父さん、お疲れ様、有難う。」私は心から感謝をした。

自分が亡くなる事を承知していても、私を呼んで!と
言えない母の心が私にはよく判っていた。

只、最後にお小遣いを書き留めで送った封筒を抱きしめて
涙ぐんでくれた。私はそれだけで母を許す事が出来た。

例え、私の人生を壊した母でも生きていて欲しかった。
余りにも早く逝きすぎた母、と悔やんでも遠い昔の事。

一緒懸命に働き経済的に援助していたので最後まで
母の看病が出来なかった事が残念でならない。

そう言う点では、私は親不幸な娘だった。
雛祭りが来る度、母の亡き日を思い出すこの頃の私である
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早春 
雨は上がり曇り空の朝、親友が30分位我家に来てくれた。
金柑を煮てお砂糖等で味付けしたいとの事。

私は、金柑を百個くらいもぎ取って彼女にあげた。
その後、家事を始めた頃は陽光の眩しい日中になる。

富士山の上に真っ白い雲がいっぱい浮かんでとても奇麗だった。
一番先の大きな雲が父に似た不格好な雲、

その後に続く雲は痩せ細った母の雲、
次にしっかりした美しい雲が姉に似た雲、

そして最後に続いている小ぶりな雲が私、
そんな風に思わせる奇麗な雲もどんどん流れていく。

追いかけたってその雲は逃げて行き、
違う形の雲が次々に出てくる。

明日は桃の節句なので買物に出かけ、
遠回りをして満開の菜の花を見ながら帰って来た。

夕方の風は肌を突き刺すように冷たいけれど、
この頃は寒いという言葉がでなくなった。

♪春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず .時にあらずと声もたてず。

もう少し経てば桃の花も咲くでしょう。


photo by sakura1205 from
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弥生
昨夜迄、強風が吹き荒れ、船の霧笛が聞こえていた。
まるで家に近づいてくるように。

人の声も聞こえぬ静寂すぎる夜、
台所の電燈だけをつけて眠り、今朝6時起床し電燈を消す。

雨は止んでいたが再び雨が降りそうな曇り空の今朝、
表通りに可燃ごみを出した時、富士も山々も見えない。

春めいて気温が上昇に向かいながらも、
再び、寒さが戻って気温の変動が大きい。

庭に小鳥が遊びにくる事は知っていたが、
まさか鳩が二羽歩いているとは思ってもみなかった。

例年ならばサクランボの花が満開に咲いていたのに、
今年は二月まで雨が降らなかった為か、
今頃、蕾が膨らんでいる。

遅咲きでもいいから奇麗な桜の花を咲かせてね!
そっと心で囁いた。とても可愛い蕾だから。

弥生の雨はしとしと静かに降り続け、
冬が戻ったように冷たい。

でも、冬は過ぎて行き、何をするにも「春の。。。」と人は言う。
今日から弥生、まだまだ寒い日が有っても春はそこ迄きている。

東伊豆町では雛のつるし飾り祭りが行われ、
二日後は雛祭りがやってくる。
本当に二月は駆け足で過ぎてしまった。
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