雛祭り
あの日、会社で残業をしていた時、一本の電話が鳴った。
母が亡くなったとの連絡だった。

お正月の頃はまさか亡くなるとは夢にも思ってみなかった。
風邪をひいた事が原因だと叔母から聞いた。

それにしても、「叔母さん、何故もっと早く教えてくれなかったの?」
「風邪で亡くなるとは思わなかった。」との事。

あの頃の私は29キロまで痩せ細っていたが、
糖尿を病んでいた母はもっと痩せていた。

青白い顔をして亡くなる5日前まで自分でトイレに歩いていた程、
気丈な母も最後は父を頼りに生きていた事が判る。

生前の母に、「一度でも入院して!」私がいくら勧めても、
我儘で「検査が嫌だわ。」強情な性格が直らないため、
早く亡くなったのかも知れない。

父の事業が失敗した後は夫婦喧嘩をする光景を見た時、
仲の悪い夫婦だと子供ながらに思っていた。

晩年は、最後まで母を愛してくれた父に、
「お父さん、お疲れ様、有難う。」私は心から感謝をした。

自分が亡くなる事を承知していても、私を呼んで!と
言えない母の心が私にはよく判っていた。

只、最後にお小遣いを書き留めで送った封筒を抱きしめて
涙ぐんでくれた。私はそれだけで母を許す事が出来た。

例え、私の人生を壊した母でも生きていて欲しかった。
余りにも早く逝きすぎた母、と悔やんでも遠い昔の事。

一緒懸命に働き経済的に援助していたので最後まで
母の看病が出来なかった事が残念でならない。

そう言う点では、私は親不幸な娘だった。
雛祭りが来る度、母の亡き日を思い出すこの頃の私である