2009年03月の記事


 暖雨 
昨夜も、宵っ張りをしてPCを閉じた後、
ステップ健康器具で両手を動かし身体をひねりながら15分踏む。

曇り空に小鳥の鳴く朝、寝坊して6時半起床。
朝食後、可燃物を出す為に表通りに出れば空が一瞬明るくなる。

水溜まりに鴨が二羽で仲良く遊んでいる姿を見て
いらっしゃい!手招きすれば遠ざかってしまう。

水辺には、白鷺や鴨が時々姿を現すが、其の姿はとても愛らしい。
周りの川沿いの桜は今月20日開花予想だが、

蕾がもう少しで膨らんでくると思う。
春紅葉も、枝先が赤くなり下旬には、真っ赤な葉が開く感じがする。

そして午後、小雨がぽつぽつ降りだした。
音もない静かな雨なのに、冷たい雨が大地を濡らし、

山々も富士も、全ての物に潤いを与えてくれる。
青草はぐんぐん伸びて、窓を開ければ土の匂いが漂う。

この静かな雨は、暖かな雨になるかも知れない。
早春の雨は気まぐれだから、くるくる変わる。

春に三日の晴れはなしという言葉のように、目まぐるしく。
微かな風がふわーっと吹いて、雨は降り続ける。
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 白木蓮 
冷えこむ今朝、5時半起床。
6時には、暖かな日差しが降り注ぐ晴れの天気が戻る。

隣の庭に眼を向ければ木蓮の花が、満開に咲いていた。
満開といっても花は、閉じたような形で上向きに咲き全開はしない。

3月の太陽の光りをいっぱい受けて、南側が膨らむため花先は北側を差す。
普通は、3月15日~4月10日頃に咲くが、温暖な我が町は一足早い。

その花びらは大きく白くて清楚な姿をしている。
私を見てよ!と咲いても誰も見向きもして貰えない。

木蓮って寂しい花だと思う。そして孤独な花。
既に散ってしまった椿の花びらと同じように、

花の豊富な町では、椿も、白木蓮も「綺麗ね!」言う人はいない。
そろそろ土の下からスミレが顔を出す頃、

スミレも美しい紫の花、小さい為に人に踏まれてしまう。
花の命は短くて儚い。1年かけて咲いても散ってしまえば忘れられる。
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冬の終わりの寒さ 
昨夜は睡魔が襲い、深夜23時に眠ってしまった。
今朝も寝坊し6時40分起床。

家族で誰ひとり朝の出勤がない日は、寝坊をする日が多い。
土、日の休日も出勤が有ったり無かったりの為、三人共、

「今日は何曜日ね?」曜日の確認をしたり、勘違いする時もある。
玄関先に出れば雪化粧した富士山が、寒々と見えた。

春紅葉の枝先が丸くなり真っ赤に咲く日も近いと思い、
家の近所だけを歩き回り、うるさい主人の話を聞いて過す。

花粉症で二人共外出する事を嫌がるので、庭のコンテナの様子を見て
お魚が元気で生存しているか確認をする。

草が芽吹いているけれど、余りにも寒いので暖かな日に草取りを
しようと思う。

早春の寒暖の差は大きく昨日の暑さが信じられない。
暦は春でも、日中は冬の終わりが戻った感じがする。

暖かい、寒いを繰り返しているうちにお彼岸がきてしまう。
お彼岸になれば、お仏壇とお墓に飾るお花も少し豪華なお花に

変えなければならない。お萩等も作らなければと考えている。
あれこれ考えている間に、一番好きな四月が駆け足でやってくる。
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花粉舞い散る日に
昨夜、湯船に浸かり身体を沈めれば、ぽつぽつと小雨が降ってきた。
湯上りに時計を見れば午前0時半を廻っていた。

両手を運動しながら、ステップ健康器具を15分踏みすぐに眠る。
私は、冬の運動不足の身体を、序々に戻そうと努力をしている。

午前8時、雨は止み太陽が顔を出せば四月上旬並みの暖かさになり、
用足しに外出し、12時に一旦帰宅した後、再び外出をする。

昼下がりの風は強く髪がぼさぼさになり、花粉が凄く飛んでいた。
花粉が大量に飛び散るなか、午後4時過ぎに家路に急いだ。

午前中は汗がにじむほど暑く、夕方になれば風が冷んやりしてくる。
桜並木の樹木に、風の音がひゅうひゅうと吹き荒れ

もうすぐ蕾が膨らむ感じがする。家のさくらんぼの花は枯れてしまい、
薄ピンクの花びらが茶色になってしまった。

三月の天気は、気まぐれで雨が降ったり曇ったり晴れたりと
一日でくるくる変わっている。

島田市の帯桜は、満開になりとても美しい。
桜にも色々な種類があるけれど、やっぱりソメイヨシノが一番いい。
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 何故、農業に人気 
裏庭の隣に空き地が有った。其の田畑を耕す事が出来なくなり、
知人のお宅は、建物を建てるため盛土工事をしている。

ご夫婦の体調が悪く、農業が無理でアパートか貸家を建てると
業者の方が挨拶にみえた事がある。

息子さんご夫婦は農業を続ける意思が無いとの事。
こういうお宅が多いなか、不景気で農業を希望する若者が増えている。

サラリーマンから農業をする人は、農業がどれくらい大変な労働仕事か、
判っているのだろうか。

会社を契約解除されたからと、農業を始めても耐えていけるだろうか。
甘くみていると、農業の経験のない私でさえ思案に暮れる。

何の仕事でも楽な仕事はないけれど、農家の方の仕事を見ていただけで、
重労働に耐えているように思えた。

60代、70代の老人で農業を辞めたお宅の息子さん達は、大変さを
知っているため、跡を継がずに会社勤務等をしている。

空き地は家を建てる人達に売っている。それでも、若い人達が農業を
引継いでくれれば、良い事だと思う。

農業をする人がいるから、私はお米やお野菜を食べる事ができる。
農業をしている老人の方達を見る度、頭を下げて通る。

今日は、曇ったままの天候で終わり、今にも雨が降りそうな感じがする。
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野花
昨夜は、宵っ張りの私が、起きていられず午前23時に眠ってしまった。
今朝、小鳥達の鳴き声で5時半起床。

曇り空でも暖かな朝に、犬の散歩をしている人達と同じ道を
散歩して我家に帰ってきた。

色々な犬の散歩をする人と出会い、笑顔で挨拶をする。
川沿いの桜並木を通った時、樹木の枝先はしっかりと丸くなり、

数日で蕾になりそうな感じがする。
相変わらず菜の花は、ずっと咲き続けている。

あわあわと流れる川の水は海へと向かい、
其の周りには青草が芽吹いている。

雑草にも全て名前があると思う。只、私が名前を知らないだけで、
雑草にも、色々な名前があるはず。

花の咲かない草は、人々に踏みつけられても、どんどん伸びている。
草花は、野に咲く花と、お花屋さんに売っている花は人の見る眼が違う。

野に咲く花も、お花屋さんの花も、同じように大切に思いたい。
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 若さは瑞々しい心
一月は、雨も少なく晴れた日が多く、水不足が心配された。
それが三月になれば、晴れの日より曇り雨の日が多くなる。

日増しに春の兆しが感じられるこの頃、今朝から春めいた
暖かい空気が漂うなか、町内の行事があり二時間くらいで終わった。

親友と、お腹が痛くなるほど大笑いをして午前9時前に帰宅する。
主人の関係者からの頂き物のメカブが食べきれないので親友にあげたが

「生昆布類ばかり食べきれないわ!」笑いながら受け取って頂いた。
生のメカブ類のため、早く食べなければと色々な工夫をして食している。

海藻類は身体に良いけれど、普通のお野菜、お魚、お肉類も摂りたい。
主人は、40代の時、狭心症を起こした事が有るので食物には気を使う。

彼はストレスも溜めず、病気等には逃避せず何が有っても気にしない
タイプなので、元気なのかも知れない。

気持も顔立ちも10年~20年若く見える。しかし、彼の血管年齢は
高いと思うので、外食時の食物を注意すれば、聞く耳を持たない。

私の場合は、血液検査は、「良いですね」と言われるが、ストレスを
溜めてしまうタイプなので、心身に一番悪いと自覚している。

出きるだけ、ストレスを溜めないように春めいてきたこの頃、
バス旅行に行ったり、室内に閉じ篭らないように外出したり

心がけなければと反省をする。親友と近隣市まで車で野菜を中心に
買物に行って来た。親友は、私より年が離れていても虫歯一本無く元気がいい。

そして何より、気持が若くお洒落で美人、何時も大声で笑っている。
見かけは派手でも心は瑞々しく堅実な性格、やっぱり若さは年じゃない。
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 早春の雨 
ざあざあと降りしきる雨音で目が覚めた。
午前5時半、いつもなら辺りが明るく見えるはずなのに

暗くてずっと眠っていたい心境だった。
両親でも居たら「おはよう!」と言葉をかけてくれたはず、

子供でも居たら「お母さん、雨だね!」と言ってくれるはず。
誰ひとり何の会話もしないまま、黙々と家事をする。

傘を差して、表通りに可燃物を出す時は雨が横殴りに降っていた。
富士も山々も灰色の空に霞んで何も見えない。

早春の雨は、優しいと思っていた。
早春の風は、暖かいと思っていた。

辛い事が有る時は、年上の主人に思い切って当たってみた。
すると以外にも、優しい言葉が返ってきた。

「悪いな、お前がいるから助かるよ!」この一言だけで十分だった。
優しさなんて滅多にない彼の言葉が例え嘘でも信じよう。

外に出れば、大粒の涙を雨が洗い流してくれ、
泣き虫な私が明るい私に戻れば、小雨になる。

早春の雨風は、時には意地悪くなったり、優しくなったりする。
田園に行けば、二羽の鴨が仲良く生きる為に餌を探している。

雨に濡れた田園には、青々とした草が長い冬を凌ぎ芽吹いてきた。
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啓蟄 
 今日は、二十四節気の一つ啓蟄。雨水後の15日めの3月6日頃にあたる。
啓は、開く。蟄は、土中で冬ごもりしている虫の意味。

文字通り、土の中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、
地上に這い出してくるという意味との事。

そういえば、先月、白い蝶々が飛んでいた光景を思い出す。
暗い夜に、白い蝶々がひらひら迷いながら飛んでいた。

か弱そうで思わず声をかけてしまう程、飛び方に力が無かった。
あれから二週間が経過している。

あの蝶々は、きっと早く生まれすぎたのかも知れない。
寒い、寒いと言っている間に、日増しに早春を思わせるような

ふわっとした空気が漂っている。静岡は、桜の開花が3月20日予想。
そめいよしのが、咲く日は駆け足でやってくる。
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春めいて 
久しぶりに青空が広がる今朝、6時半起床。
雨上がりの大地は、しっとりと水を含み、

樹木の葉から、雨の雫が太陽にきらきら光り、微かな風に
ふらふら揺れている。その雫はやがてぽつんと落ちた。

清々しい晴れの朝が戻ったので一度目の洗濯物を干すと、
物干し竿の下にも雨の雫がしがみ付いていた。

嬉しい!なんて空気の澄んだ朝だろう。
久しぶりの青空が嬉しくて朝市に足が向いてしまった。

我家に戻る時、川沿いを通り、ざぶざぶと流れる川の水を見れば
水かさが増えた感じがする。昨年末から咲き続けている菜の花は、

一冬咲いてもまだ散らずに咲いている。タンポポは咲き、
満開のさくらんぼの花を見れば、春めいた暖かな日差しが降り注ぐ。

朝食後、清々しい空気が漂う道を歩いて買物に行って来よう。
午前中に家事を済ませ、午後から用足しに行きたい。

春めいた青空の下を胸いっぱいに美味しい空気を吸って、
ちょっとお洒落をしようかな。
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 今が笑顔で暮せたら 
昨夜は、深夜0時前に冷めたお風呂に入っても温まらず、
お布団に入っても手足が冷たくて中々、寝付けなかった。

風の強い夜で雨戸をカタカタ揺らし、雨もざあざあ降っていた。
雨が止んだ夜明け前に、寝坊して7時起床。

この頃は朝寝坊をする日が多くなった。
花粉症のひどい主人がコンコン咳をして先に起きていたので、

急いで朝食の支度をして座っている場所まで運ぶと、
機嫌よく食してテレビニュースに眼を傾けていた。

花粉症の咳か風邪の咳か、区別がつかない感じがする。
マメな主人が、旅から帰り何もしないで座ったままで過している。

何処へ旅行に行って来たのか、全く言わず、
その場その場で必用な会話をしている。

問えば怒る事が判っているのに、怒らせる事を聞いても仕方がない。
親友は「そんなご主人は何処にもいないわ!」と私に呟いた。

私は、何もかも判っている。それでも嫌がる事は口には出さない。
これから何が起ころうと、今が笑顔で暮せたら、それでいい。

今にも降りそうな灰色の空に、山々の周りは雲がかかり何も見えない。
早春の風は冷たいけれど、暖かな風が吹く日も近いと思う。
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雛祭りのひとり言 
灯りをつけましょ雪洞に お花をあげましょ桃の花。。。。
なんと優しい童謡だろうか。こんな曲を聴くと童心に戻れる。

最近は、雛檀を作り雛人形を飾る家を余り見なくなった。
小さな子供さんのいるお宅では飾っているかも知れない。

今朝は、寝坊し7時起床。冬が戻ったような冷えこむ朝だった。
表通りに可燃ゴミを出し、回覧を回して来れば

ぶるぶる震えるくらい寒さが身に沁みた。
午後から雨が降り出し、気温も上がらず、

うわー寒い!この寒さの中、カモメが一羽さ迷い飛んでいた。 
空を飛ぶ事を自慢そうに羽を大きく広げ上下にくるくると。

おいで!私が手招きすれば、意味が判った様に傍に近づいてくれる。
気まぐれカモメは、すいすいと再び遠ざかってしまった。

満開の梅も散ってしまい、川に流されてしまい、
道端のゴミとなり散乱し、人は誰も見向きもしない。

梅が満開に咲いた頃は、「綺麗ね!」と見ていた人達は、
散ってしまい、枯れてしまえば知らん顔をしている。

雨に、全部散ってしまった梅の香り届かぬ悲しさを判って欲しい。
風に、全部散ってしまった梅の可愛さを思い出して欲しい。

人は美しく咲いた時の花々を誉めても、枯れてしまえば忘れてしまう。
来年も咲いてね!と心の中で呟き、自然の大切さをふと思う。
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3月2日 明日は雛祭りですよ、お母さん! 
そろそろ、桃の花が咲きはじめる、雛祭りの翌日に母は、
20代の私を残して亡くなった。

昨日は、バイトの帰り道、飾り雛を一個だけ買って亡き母にあげた。
あの頃の私は、別の町に住み仕事に夢中だった。

3月2日の雛祭りの前日に母にお小遣いを送った。普通で送ろうか、
速達にしようか、迷ったあげく、速達で2万円送った。

叔母から「××ちゃん、お母さんの風邪は悪いみたいよ!」と聞いていたので
休日に行くつもりでいた。

そして4日、会社で仕事中の午後6時に、一本の電話が鳴った。
事務をしていた私は、仕事の電話だと思い軽い気持で受話器を取った。

「今、お母さんが息をひきとった!」との電話を聞いた時、
信じられなくて耳を疑いながら、急いで社宅に帰り、

貴重品だけを持ち、走って電車を乗り換え実家に向かった。
真っ青な母の顔を見た時、初めて亡くなったと実感し、

身体を消毒で拭いてあげた。「亡くなるまで××ちゃんのお小遣いを
胸に大切に抱いていたのよ!と叔母に聞いた時、

「私を抱いてくれたのね、お母さん!」大きな涙が一粒落ちた。
父の事業で失敗した後の母は、入院費をあげても生活費に当て、

糖尿の合併症が出ても、入院せずに家で父と一緒に暮らしていた。
父は、疲れきって何も出来ず、お葬式は貯金を引き出して私が支払った。

雛祭りが来る度に、桃の花を思い出す。遠い遠い天国の母、そして
父の二人に、「雛祭りの歌」を歌ってあげる。
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3月1日 弥生 
暗い夜にさくらんぼの花びらが、風にゆらゆら揺れていた。
窓を開ければ香りがぷーんと漂う。

夜の風は寂しくて、お風呂上りの素肌を通り抜けて湯冷めをしそう。
今日から三月、気持を切り替えて頑張らなければと

自分に言い聞かせ、今の自分に何ができるか考えていた。
伴侶は、仕事する事はないと反対をしている。

しかし、私も生き甲斐が欲しい。小さな夢が欲しい。
主婦といっても、アパート管理がある為、不動産屋との電話連絡、

事務、リフォームの手伝いも少しはしている。
伴侶から雀の涙くらいの月給を頂き、月4~5回のバイトもある。

次女の洗濯、食事の世話、夜勤時のお付き合いもしている。
深夜勤の度に午後23時半までに起こしている。

今日は、伴侶が帰った時、笑顔で迎えられるだろうか。
何も無かったように、普通に接していればいい。

でも、私は、小さな愛が有ればそれで十分だと思っている。
小さな夢、小さな愛があれば何も要らない。

只、大きな信頼が欲しい。家族を大切にする心が欲しい。
伴侶の旅行を憶測で考えてはいけないと、自分に言い聞かせる。

今日から花の三月、僅かな希望を持って歩いて行こう。
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