10回に渡っていた連載の最後に。。。
 焼骨 身元不明9人を探してと題して連載されていた、昨日は最後にこんなことが。 忘れない 私たちの町で死んだ と題して。。。

 身元不明者9人の焼骨は、いずれも風呂の無い住宅の焼け跡で見つかった。私たちは、震災前に9人が通っただろう銭湯を訪ね、生前の姿を探そうとした。

 廃業した銭湯も多い。桂田政子さんは、震災まで50年、番台に座った。「おにぎりを独りもんの人に配ったり、水商売の女性を待って閉めるのを遅らせたり。お客さんを家族と思ってた」

 安田昌弘さんは全焼した銭湯を再建した。駐車場を儲け、終夜営業にした。「以前は掛け湯しない子を大人が叱る関係があった。今は大人のマナーが悪いし、洗面器を動かしたぐらいでけんかになる」。人との付き合い方の変化を安田さんは感じている。

 身元不明の死者について問うと、銭湯の主や客は首をかしげた。「そんな話、知らんなぁ」

 結局、わずかでも生前の姿を描けたのは、9人のうち、長田区水笠通に住んでいた、中島清子さん、同じアパートの男性、兵庫区中道通の中国人の「サイさん」の3人だけ。いや、3人さえ該当者とは断定できない。

 ほかの6人の発見場所では、「その部屋は誰もいなかった」「死亡者の身元は皆、分かった」と話す住民に会った。誰かが地震の瞬間に偶然居合わせた可能性はある。しかし、取材を進めるほど、該当者の存在を実感しにくくもなった。

 遺体の検案をした横浜市立大医学部の西村明儒助教授はこう指摘した。

 「遺族、救急隊、自衛隊、警察と入り乱れた捜査の結果、同じ場所から別々に骨片が届いて人数の特定が難しくなったケースもある」

 遺体を骨片になるまで焼き尽くした火災が、まず「身元不明」の原因だった。兵庫区で消火にあたった市中央消防署係長の熊田晃久さんの言葉が印象に残った。「どんな大火災でも、最後は自分らが消してきた。火事に勝ってきた。でも、震災は違った」

 断水し、火は止めようがなかった。防火水槽も消防車も不足していた。市消防局によると、市内の焼損区域で529人の遺体・遺骨が発見された。備えのなかった町に、焼骨が残った。

 しかし、骨片になろうと、「ここにいた」と訴える家族がいたら、身元は特定された。名乗り出る縁者がいないからこそ、身元不明になった。

 神戸市北区の卑越墓苑。その無縁墓地の一角にある震災無縁慰霊碑を目指し、また坂を上った。

 無縁墓地には毎年、震災に関係なく「無縁さん」が納められる。市の調べで、2003年度、引き取り手がない遺体は228人。そのうち36人が「氏名不詳」だという。そんな日常も、焼骨が身元不明になった背景にある。

 焼骨の主が誰かわからないまま、9人なのか、人数さえも揺らぐ。

 ひとつ確かなことを忘れずにいたいと思った。私たちの町で、猛火にさらされ、砕け散った骨が、この碑の下にある。。。

 隣は何をする人ぞ。。。そんな背景が身元不明者を出してしまったのかな?他人には関わらない。。。何なんでしょう?この傾向は。。。