2025 04/14 10:47
Category : 記録
環境にやさしく、分断・対立・闘争さけて災害にも“したたか” 地域を文化で創る=国指定天然記念物・春採湖ヒブナ生息地371225

昭和12年。師走の25日に国は「春採湖ヒブナ生息地」を天然記念物に指定した。
指定理由に申す。
「春採湖ハ上層ニ過飽和ノ酸素ヲ含ミ下層ニハ之ヲ缺ク珍奇ナル湖ニシテ往古ヨリ多クノ緋鮒ヲ産ス緋鮒ハ鯡ノ紅化セルモノニシテ本棲息地ハ我國有數ノモノナリ」。
ヒブナが国の天然記念物に指定されたわけではないが、その生息地とたる春採湖が人間の手で現状を変更することに、ストップがかかったのだ。
指定の時点までに、湖畔一帯は人手を加えられた。なにしろ釧路炭田を代表する炭鉱の、採炭坑口、選炭場、港口輸送路、住宅街。
湖畔の陸地は埋立てられていた。特に南西口では失業対策事業で、城山地区の丘陵をくすし、湖畔の埋め立てにあてていた。
水泳プールを思わせる湖の水際線には、その記憶を重ねねばならない。人口急増で宅地が不足。
ただ、それ以上に時代は急激に動いていた。
31年9月 柳条溝事件で日本軍は中国大陸に非常時を拡大。釧路港から大陸に送られる貿易量は増加。
とりわけ石炭は、その生命線でもあった。事実、石炭統計をみるとその出炭量は41年にむけ戦前ピークを記録していた。
「石炭増産にノー」とは、とてもとても言えない時代。春採湖の環境を保全する<知恵>が天然記念物の国指定であった。
そうするならば、時代にあらがうことが出来ない世相をシッカリ見きわめ、「ノートはいわずに、持続利用を実現」。
これぞ、「地域を文化で創る」の典型例ではないか。時代と時代、時代と人、人と自然を見事に、つないだ。

昭和12年。師走の25日に国は「春採湖ヒブナ生息地」を天然記念物に指定した。
指定理由に申す。
「春採湖ハ上層ニ過飽和ノ酸素ヲ含ミ下層ニハ之ヲ缺ク珍奇ナル湖ニシテ往古ヨリ多クノ緋鮒ヲ産ス緋鮒ハ鯡ノ紅化セルモノニシテ本棲息地ハ我國有數ノモノナリ」。
ヒブナが国の天然記念物に指定されたわけではないが、その生息地とたる春採湖が人間の手で現状を変更することに、ストップがかかったのだ。
指定の時点までに、湖畔一帯は人手を加えられた。なにしろ釧路炭田を代表する炭鉱の、採炭坑口、選炭場、港口輸送路、住宅街。
湖畔の陸地は埋立てられていた。特に南西口では失業対策事業で、城山地区の丘陵をくすし、湖畔の埋め立てにあてていた。
水泳プールを思わせる湖の水際線には、その記憶を重ねねばならない。人口急増で宅地が不足。
ただ、それ以上に時代は急激に動いていた。
31年9月 柳条溝事件で日本軍は中国大陸に非常時を拡大。釧路港から大陸に送られる貿易量は増加。
とりわけ石炭は、その生命線でもあった。事実、石炭統計をみるとその出炭量は41年にむけ戦前ピークを記録していた。
「石炭増産にノー」とは、とてもとても言えない時代。春採湖の環境を保全する<知恵>が天然記念物の国指定であった。
そうするならば、時代にあらがうことが出来ない世相をシッカリ見きわめ、「ノートはいわずに、持続利用を実現」。
これぞ、「地域を文化で創る」の典型例ではないか。時代と時代、時代と人、人と自然を見事に、つないだ。