2021年08月の記事


「<路線跡40キロ草刈り> 旧駅公園化に公共動」 nhk4K「ニッポンぶらり鉄道旅 厚床・廃線跡フットパス」
列車は東へ下り「厚床 あっとこ」駅
 標津線、厳密には標津線厚床支線と呼ばれる根室市厚床と中標津町をむすぶ路線。
 平成元年かに廃止された。今も「昭和8年製作」と記載のある、鉄橋跡が残る。
 
 ここで、廃線跡をたどるツアーの紹介。厚床~中標津間40キロをまず、草刈りすることから、着手。毎年10月の「体育の日」に「廃線跡をたどるFoot Pass」を開催。
 草刈りは、有志というか目的に賛同の酪農経営者が、両地点から刈り始め<真ん中>で落ち合った、と。「もう感度して、抱きつく者もいた」という最初の年。


 
 熱意は周囲を動かした。
 「北棟 奥行臼駅逓」。国の重要文化財。
 それを軸に近隣に位置する旧「奥行臼」駅構内を町営公園に発展させる案も。そのあたり、史跡・文化財に「意味の史跡・文化財」と「形の史跡・文化財」が、ある。
 そう、感じている。「達人」を訪ねるシリーズ、この駅の達人は、廃線跡ガイド。単なるガイドにとどめず、跡地保存の草刈りに、汗ながす。

 「<路線跡40キロ草刈り> 旧駅公園化に公共動」 nhk4K「ニッポンぶらり鉄道旅 厚床・廃線跡フットパス」
 【ニッポンぶらり鉄道旅】 BS4K 毎週木曜 午後7時30分 |
 再放送 毎週土曜 午前7時45分 | 再放送 毎週木曜 午後0時30分
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「伝承って大事です」 nhk4K「ニッポンぶらり鉄道旅 幕別:アイヌ民族文化伝承事業」
 帯広「豚丼」
 帯広の豚丼は、タレの味の吟味に、ストレスのない豚の肉。
 「タレの味」の特質は聞き逃すも、豚の飼育は独自の農場で展開。

 2002年から開業。
 23歳でアメリカ牧場体験。そこでの学びをもとに「東京ドーム6個分」の「豚牧場」で、1000頭の飼育。
 「ストレスがない人生、肉になるまではその生涯を<堪能>してもらいたい」。
 弁を聴いて、複雑でもあったが。

 幕別「アイヌ文化伝承」。次の下車駅は、幕別。
 アイヌ民族の女性がお二人。「母から習った、アイヌ文様の刺繍」。
 「子どもの頃は、差別があったのでアイヌと言うこと、口にしなかった」。「しかし実は母が、刺繍の達人であたっと知って」。

 週に一度の刺繍教室。
 習うヒトが数名。尊いと思うは、自身を鍛えるために困難にむかって、学習する姿勢。
 鉄道沿線でワザと知恵を発揮の「各地の達人」。「好きなヒトが作ると良い、私、難しいことしないワ」。
 世は消費するヒト、作る人の分断が進んでいまいか。

 「他にもネ、音楽や料理を伝えています」。案内されたのは公共施設の料理場。
 「オオウバユリは、まず、『少しだけわけて下さい』とカムイにお祈りをするの」。
 
 ウバユリの球根採取にあたり、まずはカムイノミ。ウバユリを調理する過程が紹介される。そこは貴重な映像。
 球根をスリつぶして白玉粉でこねて団子をつくる。
 次にコンブを練り上げて団子を包む。出演者は団子をかみしめてみて、「はじめにコンブの味がして、後で確かにウバユリの旨みが口のなかに広がる」。
 伝承者は「アイヌはネー、コンブをよく料理につかうよ」。
 そうだ、コンブはアイヌ語に語源があり、それが日本の商品名になっている。そう聞いている。

 伝承者は申す。
 「なにより伝承って大事です」。文化は伝書する達人によって育てられている、のだ。
 それ故、聴いていて思った。「そのうえで、伝承しようという人が自身でやってみて、出来るところまで自らを鍛える」点。

 場面は釧路駅に
 鶴居村在住で旅館業を営む方が「タンチョウ案内人」。
 中学生のときタンチョウの色合い、大きさ、その優美な姿に触発され、「スゲー鳥が、身近な所に」。以来、病みつきとなった。
 毎朝、撮影に出かけてこれまで5000枚の写真を、と。

 圧巻は「16へクタールの森を購入したこと」。
 「経費は車一台分の経費を投入」「山林を開発する声があがり、守るためには購入した方がよかった」。「森が切られてしまうと、泥炭湿地の乾燥化がすすむ」。

 「伝承って大事です」 nhk4K「ニッポンぶらり鉄道旅 幕別:アイヌ民族文化伝承事業」
 【ニッポンぶらり鉄道旅】 BS4K 毎週木曜 午後7時30分 |
 再放送 毎週土曜 午前7時45分 | 再放送 毎週木曜 午後0時30分
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次世代継承
次世代継承 立山の山小屋で210827。

親が子を同伴して登山。
苦しい修羅場には細心の留意。その真剣な取り組みが、子に重要なメッセージ。

さらに重要は「愉しいそうに、山に挑む」。自ずと「(子は)将来は、一人で自分も登ってみよう」。

 nhk「新日本風土記」 「地獄・極楽 立山」の番組から。

 みくりが池。「地獄の位置づけ」と。
 「標高2,405mに位置する立山火山の火山湖で室堂を代表する風景」

 「6月まではすっぽりと雪で覆われていますが、7月から10月はその美しい紺碧の水面に立山の姿を映し、それを見に来る観光客は絶えません」。そう紹介。

 「室堂(むろどう)」がおなじみ、見学の拠点。
 2003年9月、この地に足を記し、みくりが池の水面を眺めて息を呑んだことも。
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愛北橋(本店・名古屋 支店・釧路)の判明記録210825
 愛北橋(本店・名古屋 支店・釧路)の判明記録210825

 現在、ネット上で流布しているデータをまとめてみました。
  ●地域経済史年表(2)  https://taweb.aichi-u.ac.jp/seiabe/rh/hyo/nenpyo2.html 
 「(明治20年09月 名古屋に愛北物産会社設立、釧路に支店」
この年表によると同年、
 「8月 旧藩士族による名古屋電灯会社の設立認可」「9月22日 勧業資金下付決定、名古屋藩士族に10万円」の記事があります。
 しかし、「勧業資金下付決定」の方針が、一に「名古屋電灯会社」、二に「愛北物産会社設立」と結びついたかは、決めつけられません。

 ●「函館を出発点として当時の日本の海運界に大いに貢献した大船主・日下部久太郎」
                          函館市文化スポーツ振興財団
  http://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/02_ka/02-kusakabe.html 
 「明治4年6月、庄屋吉衛門の二男として美濃岐阜市在の坂丸村(現・羽島市)に生まれる。21年、日下部一族が出資者となって釧路町(現・釧路市)に愛北物産会社を設立。この年の11月、久太郎は社員として少壮の志を立てて来道する。後に期する処があり同社を退社」。
 「明治26年、函館にて米穀・肥料・海陸物産商を開業し、傍ら海運業に乗り出す。しかし、たまたま米相場の暴落にあい失敗し閉店を余儀なくされる。」

 ●「市街地の形成と拡大:米町・真砂町界隈」「釧路歴史散歩」 まりもHP
 https://www.hokkai.or.jp/history/kusiro-sanpo/3-4-1.html
 (法人)「明治二十年には名古屋の愛北物産合資会社が真砂町に店を構え、酒醸造、米穀のほか海産物などを手広く取扱い、さきに述べた有料橋・愛北橋を自費で架設するほどの打ち込みようであった」。
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建設港湾急務を説く 「文明諸国の設備に驚く」正名20歳
 瑞士 (国名)スエズ 柴棍 (都市名)サイゴン 錫蘭島 (地名)セイロン島
 嘉永3 1850年生まれの正名にとって「数え年」21歳は明治2年。仏国留学を命じられ、香港-スエズ経由ー仏蘭西マルセイユに向かった。



 途次での見聞。フランス マルセイユで考えた点。「第五の驚歎」。
「元来天然の防波堤と云ふべきもの有せず」「普通の平海岸に人工を施せるに過ぎず」。
「而かも数千百の大小船が安穏に碇泊することを得るは、全く人力の結果にして、日本の港あることなし」。
「乗客に対して、危険を感ぜしむるものは港にして」「その完成と否とは国家の利害非常の影響を及ぼすや論なし」
「国の開拓には、まづその動脈たる道路の完備を先とせざるべからず」
「帝国の設備なく、国家の恥辱、国家の損失、これよりは大なるはなし」
「だいいちはに政府は其の方針と奨励法とを誤まり」「形式と口とを先にして、最も大切なる手足の働きを後にせり」

 建設港湾急務を説く 「文明諸国の設備に驚く」正名20歳 (「第七章 文明諸国の設備に驚く」 『前田正名自叙伝 下巻』1937年)
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後輩たちの敬意 大正9年釧路川洪水と治水210818
後輩たちの敬意 大正9年釧路川洪水と治水210818

「洪水後の9月4日には内務省決定、直ちに大蔵査定に持ち込むという電光石火の早業をなした」
「技術者の準備があったからである」(「計画と予算案の決定」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 214p)

 「(機械工場の規模は)釧路鉄道工場を除き、之に匹敵するmのなし」(「事業執行体制」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 219p)
 「大正13年、治水事務所鳥取工場はエキスカ1台を直営で製作、同15年には機関車を製作した。この一事を見ても、新釧路川治水工事の技術レベルの高さを誇れる」。
(「工事概略」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 214p)
※エキスカベーター: 

「歴史の不思議な巡り合わせを感じざるを得ない」(「釧網線全通式」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 223p)
「釧路川流域開拓の骨格が固まったことになった」「新釧路川を見る度に、堤防沿いの岩保木水門まで足を伸ばす度に、かかる大工事を完成させた先人達に敬意と驚きを感じる」(「通水式」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 224p)
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後輩たちの敬意 大正9年釧路川洪水と治水210816
後輩たちの敬意 大正9年釧路川洪水と治水210816

「(釧路川洪水の発生)被害発生の因に一般論ではあるが、流域全体で展開してきた森林伐採がいわれるも、もう一つは釧路川治水の遅れを指摘する向がある」(「大正9年釧路川洪水」 『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 205p)。

 「家が水びたしになった上、魚粕がすっかりやられた。木材のことが大きく言われたが、魚粕の被害も大きかった」(「水産関係事業」 『前掲書』 211p)

 「阿寒川はここ(註 現釧路市山花)から、第一分水溝に転流した」。
 「第一分水溝の設計は、この転流を予期したものではなかったろうが、結果として阿寒川の性情をよく見たうえでの分水溝であった」(「阿寒川現河道の誕生」 
『くしろ 釧路開発建設部四〇年史』 1991年刊 213p)。
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増収、減反、旨み実績 佐賀段階&新佐賀段階210816
 佐賀段階 さがだんかい

 

 1)水稲10a当り平年収量では96年現在も全国で6位(518kg)と高い水準。
 2)1935年前後に電気灌漑などをとり入れ水稲の生産性が大幅に上がった事象
 3)ダムの完成(1957)で佐賀平野の水害・干害が緩和,
 4)60年代には集団栽培が効を奏し、65&66年と連続して10a当り米収量日本一を実現→〈新佐賀段階〉で脚光。 https://kotobank.jp/word/%E4%BD%90%E8%B3%80%E6%AE%B5%E9%9A%8E-1323554 
【筑紫平野】より
 筑紫平野は九州一の農業地域であるが,佐賀平野と筑後平野は異なった特色
 佐賀平野は日本屈指の米作地帯
 1935年前後には品種改良や農業技術の進歩により反当り収量が全国一=〈佐賀段階〉
 第2次大戦後の停滞期ののち,1965年,66年と再び反収全国一に。
 70年代以後の政府の休耕転作奨励により〈うまい米〉づくりに転換。反収は減少,また一部ではれんこんなどへの転作も。

 https://suido-ishizue.jp/nihon/11/06.html 
 江戸期を通じて、佐賀平野に目立った百姓一揆の記録はない。
 旱魃[かんばつ]と水害が繰り返される地域で一揆が起こらなかったというのも珍しい
 ウンカの被害も大きかった
 享保の飢饉[ききん](1732)では、人口のほぼ二割に相当する8万人が餓死。
 しかし、「暴動もなく、一団は整然と長崎や大阪の奉行所へ訴えた」
 成富兵庫茂安の業績で最大は「水をめぐる社会秩序の形成」。
 増収、減反、旨み実績 佐賀段階&新佐賀段階210816
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「『戦争』を知る世代がひとりもいなくなる日」 報道1930 210813
「『戦争』を知る世代がひとりもいなくなる日」 報道1930 210813



一次的継承 「自ら体験を語る」
二次的継承 「体験を聞き取り語り継ぐ」
三次的継承 「体験を自身と切り離して『歴史化』する」。

半藤一利、なかにし・れい、保坂康孝、立花隆の「戦時・戦中」への向き合い方。

「歴史化」するの意味について、保坂は。
 「客観化」すること。
「体験は部分的に語られている」「そこのところを一歩すすめて、体験を普遍化する」「なぜなら戦時・戦中を語っている部分の多くが、昭和19年11月以降のことだから」
 
 一方で「体験から歴史へ」には。
 「『教訓の継承』という点がある」と。戦後、豊富に創設された戦時資料館や空襲記念館が閉鎖と資料散失の危機にある。その要因を本邦では、記憶を残していく文化に欠け、努力をするよりも不都合を忘れさせる働きかけがあるのでは。
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/8519 
「俺、書こうかな」。祖父・半藤一利から孫娘の編集者に託された一枚の企画書

「戦争」を知る世代が ひとりもいなくなる日
半藤・なかにし・立花 最後に託した“遺言”
「戦争体験を客体化せよ」 “三次的”継承とは
散逸する戦争資料 中国の影

ゲスト
保阪正康(ノンフィクション作家)
北村淳子(PHP研究所 編集者)
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「そこへ家屋が倒れて」 450714釧路空襲
 「そこへ、家屋が倒壊」 450714釧路空襲。



 7日土曜日の朝、ドラマ『あぐり』の冒頭は「庭に防空壕をつくる場面」。
 それをみていて思い出した。
 「釧路空襲で自分は、指示通り庭の防空壕に逃げ込んだ」「待避中に家が焼け落ちてきて、私は壕の中で『蒸し焼き』状態に」。
 1973年の聴き取り時点。表情には往時の火傷痕が、実になまなましく残っていた女性。

 都市の平地で、空襲対策のため防空壕を用意せよとは『戦時画報』というニュース誌で、1947年ころ特集されていたと、記憶。
 民家では、指示にそってその作業をすすめた。ドラマの場面は寡婦となったヒロインを助けて、亡夫の友人が壕を掘るシナリオ。

 米軍の本土空襲。本邦では備えて3点の訓練が、実施されていたはず。
 1)家屋焼失に備えた消火、2)上陸に備えて竹やり、3)防空壕避難。以上3つの訓練。
 「語り部の女性」は、3)防空壕避難の指示通り行動するも、予期しなかったのは自分の家が倒れて、逃げ場を失いの事態。

 数年前。隣国から太平洋上に発射されたミサイルが、襟裳岬を通過したことがあった。
 政府は「国難、この危機を救えるのはわが党」。総選挙に打って出て、勝利した。
 
 ミサイル発射の報に、「国民は十分に注意を」。そう声高に叫んでしたが。
 叫びを聞きつつ、昭和20年7月14日の釧路空襲で、被災した女性の談話を思いかえしていた。
 「どう、注意すればよいのか」。政権は外交交渉で、「発射抑止」を具体化することが使命では。

 その隣国との外交。総選挙の前も、後も。相手国との交渉すらアメリカ合衆国頼みではないか。
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「時間と手間・暇をかけ」 多彩な器 茨城・笠間焼210808nhkBS3.
 「時間と手間・暇をかけ」 多彩な器 茨城・笠間焼210808nhkBS3.



「笠間には『土』がある」。若い男性の陶芸家は、四角の器、その四面に横線を引き、斜めに土を削り取って、意匠をほどこす。
 横線の下。それぞれの面の基部には押し穴をほどこして、体裁を整える。

 乾燥したところで、硫黄の溶融水をくぐらせて、各面に濃く吸いこむ領域と淡くのらせる工夫を織り込んでいる。
 こうして焼きあげてみると、色合いの風味が加わった出来上がりに。

 どのような用途の作品か。
 番組をながめていると、それは「植木鉢」であった。ネットに登場の類似製品。
 その価格を調べていると、たとえば、「単価 2800円」の設定価格。

 合成樹脂の植木鉢。量販店で300~400円の品があふれる、身のまわり。
 汗する、職人を育てることのできる地域あらば、それを「贅沢」と言いくるめる観点もありそう。
 (写真は拝借、画像と本文はなんの関係もありません)

 桂文珍の枕。
 「コロナで握手の仕方がかわりましたナー」「グータッチや肘をふれあって、代替」。
 「『青天を衝け』をみおりましたら、か。パリで澁澤が握手を求められ、『なんと慣れ慣れしいっ』」
 「そこへ行くと日本古来のあいさつは」「距離を置いて、相手の目をみつめあい、ニッコリ笑って済ませるポーズ」。
 「なんとも、コロナの始まる前から、コロナが来ても大丈夫」「そういうことで、ありますなー」。「おあとがよろしいようで!!}。
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感染症基礎研究の経費をうばった」とまでは申さぬも
東京五輪も残り2日。土曜日の朝、この記載をアップすることに。

 前回の東京五輪1964年。
「五輪開催の翌年度に戦後初の赤字国債を発行」
「以降、社会保障費の増加や繰り返される景気対策などの影響で、債務残高は主要国で最も高い水準」。
 つまり借金王国への方向転換であった。

 前回の東京五輪1964年。
 「東洋の魔女、その感動は・・・・・」。国の総理大臣。求められないのに発言して、求められた答えに答弁をしないで、済ませていたが。

 入場料収入の落ち込み900億円。
 桁は「億円」ですぞ。家計簿とちがって。この補填、どのように埋めますかー。
 丼勘定で税金を投入した巨額な支払い、入ってくるスポンサー料は限定、不足はもちろん税金でしょうよ。

 中止主唱は「反日勢力」。そう言いたげな元首相。
 国民は思う。「中止」に力点をおかずに、「できる条件をどこまで整備しました?」。
 「患者は減らずに、急激に増加しているではないですかー」。

 スポーツ。
 「考えることをさせない」「熱中させて、冷静な判断を奪う」。
 「金メダル戦略のコスト、感染症基礎研究の経費をうばった」とまでは申さぬも。選手強化費、ためにシワ寄せの部分も。
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「どんな生き物も声を出している」 広島で「小さな声を聴く」210803 『北海道新聞』夕刊 .
小さな声を聴く」
 「どんな生き物も声を出している。それぞれが体の中にちっちゃい声を抱えていて、ひたすら命をつくり続けている」。



 2020年5月、記者は広島市在住の詩人アーサー・ビナードさんと平和公園を歩いた。このときビナードさんが言葉が忘れられない、と。。

「原爆の絵」
広島市民が体験を基に描いた「原爆の絵」には動物たちも出てくる。

男性と馬が橋で息絶えている一枚。作者によれば男性は愛馬の苦痛を和らげようと一切のバグを外した後、倒れたという。(210804 「小さな声を聴く」 『ほか軌道新聞』夕刊1面「今日の話題」欄)。

「どんな生き物も声を出している」 広島で「小さな声を聴く」210803 『北海道新聞』夕刊.

広島市原爆資料館のデータベースで、紹介の絵画を見ることができる。
15歳の少年が描いた、一枚。同館の解説によると、

「橋のたもとで倒れていた馬とその首を枕にして横になり亡くなっていた馬車引きの人」が絵の内容。

「平成14年度収集」ということで、紹介は著作権使用申請をしないと不可能。そこで、「今日の一点」は題材の舞台に焦点。

「横川橋」。
天満川が旧大田川に合流する地点に架橋された橋。広島市西区に所在と。橋は旧「出雲石見街道」に架る。

「どんな生き物も声を出している」 広島で「小さな声を聴く」210803 『北海道新聞』夕刊 .
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幣舞橋界わい
 「長い時間の投資」「オンリーワンの機能」「日本三大名都」 幣舞橋界わい210828。
 釧路川に架橋された幣舞橋。現在の橋は五台目にあたる。1890年に架橋されて久しい。

 1)130年をかけて構築された機能。経済・文化・観光の機能が圧倒的に集中する空間。
 2)阿寒の麗峯、釧路湿原、蛇行しながら中心街に流入する釧路川に、架橋の名橋・幣舞橋。
 橋がむすぶ大通の配置。銀行建築家の手になる中央銀行支店のたたずまい。それらを丘陵から眼下に見下ろすことができる。
 3)今や「日本三大名都論の構成要素」にして、「北海道東部の金融・経済・文化・観光の中枢」。

 如何にして景観は構築された、か。
 4)愛北橋 「地域間結節の大動脈」にして「産業支援地&民生供給地の経済を結合」。
 5)昭和7年「釧路市市街図」 幣舞橋界わいに経済機能が集積、北海道東部の金融中枢。
 6)日本銀行旧釧路支店の誘致 「日本三大名都論」の構成要素。

 「記憶文化財」の概念=「中央銀行支店誘致の戦略と方策」「北海道三大名橋」「世界三大夕日~幣舞橋の夕映え~」。210828 13時30分~ 釧路短期大学附属図書館講座。
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「味噌醸造」 「滔々たる水郷’すいきょう)」210730nhkBS3
 「味噌醸造」「鵜飼い&宴」「小鹿田 おんた 焼き」「豊後の祇園祭」 「滔々たる水郷’すいきょう)」210730nhkBS3



 豊後国大分。その日田領は代官所のあった要衝・
 湧水が多く、江戸時代から木材と米の集荷地で繁栄。豊富な水量を、私財を投じて水路を育ててきた。
 住民はあえて「水郷 すいきょう」と呼ぶのだそうで。

 最初は「味噌醸造の老舗」。
 天保14年の創業。蔵で製造、表の店舗で小売り販売。
 「米・麦・麹」。「それだけですが、名水を得て独特な旨みが加わる」と。
 創業以来の種麹をそそぎ、「水が生命です」と感嘆。

(番組案内)
選 「滔々(とうとう)たる水郷(すいきょう)〜大分県 日田市〜」
大分県日田市は、山々から幾筋もの川が注ぐ水の恵み豊かな町。古くから伏流水を生かし、みそ作りや鵜飼い、陶器が受け継がれてきました。伝統を大切に生きる人々の物語。
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「指定の日に、望みのとおり咲かせるわ」 肥後朝顔210801
 「指定の日に、望みのとおり咲かせるわ」 肥後朝顔210801。
  「肥後秘花」の題名で放送された、「新日本紀行」。昭和56年の放送だそうで。

「指定の日に、望みのとおり咲かせるわ」 肥後朝顔210801。

  「(朝顔は)朝、咲いて3時間もすれば、萎れる」「小学生のころから、種をまいときや咲く花ながら」
  「指定された日に、望みのとおりに咲かせることは、実に難儀」。
  育て主はそう語りながら、半生を費やする。

  武士の嗜み。
  大名家当主の奨め。熊本市が掲載するHPの記載は下記のとおりながら、水前寺公園は「古今傳受之間」がある。
  床の間の軸には、名匠の名を記載した軸をかけ、その前に入賞作を並べる。庭に面して抹茶を嗜み、茶うけは「肥後六花」

  経済の自立。楽しみと嗜みを育てる文化。競い鍛える匠の輩出。開花までそそいだ営為を茶と和菓子で褒める。

武士のたしなみとして始まった肥後六花
肥後熊本藩6代藩主・細川重賢公が、武士の藩士たちに園芸を勧めたことが肥後六花の始まりとされています。

当時、肥後の花 と呼ばれるものは約30種あったそうです。

12 代藩主・細川斉護公の時代に、細川藩士による園 芸愛好グループ「花連」が結成され、藩士たちは 優良品種の栽培や新品種の育成に励みました。

昭和35(1960)年、昭和天皇の天覧を機に四季 を通して見ることができる6種類の花が決められ、それらが後に「肥後六花」と呼ばれるようになったそうです。

肥後六花は「花芯(※)が大 きい」「花形が一重一文字咲き(※)」「純粋な花 色」の3つの特徴があります。

  ※花芯…花の中心部分のこと。 ※一重一文字咲き…一重咲きとは花びらが重なり合って いない状態のこと。一文字咲きとは幅広い花びらを持つ 菊の品種。
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