建設港湾急務を説く 「文明諸国の設備に驚く」正名20歳
 瑞士 (国名)スエズ 柴棍 (都市名)サイゴン 錫蘭島 (地名)セイロン島
 嘉永3 1850年生まれの正名にとって「数え年」21歳は明治2年。仏国留学を命じられ、香港-スエズ経由ー仏蘭西マルセイユに向かった。



 途次での見聞。フランス マルセイユで考えた点。「第五の驚歎」。
「元来天然の防波堤と云ふべきもの有せず」「普通の平海岸に人工を施せるに過ぎず」。
「而かも数千百の大小船が安穏に碇泊することを得るは、全く人力の結果にして、日本の港あることなし」。
「乗客に対して、危険を感ぜしむるものは港にして」「その完成と否とは国家の利害非常の影響を及ぼすや論なし」
「国の開拓には、まづその動脈たる道路の完備を先とせざるべからず」
「帝国の設備なく、国家の恥辱、国家の損失、これよりは大なるはなし」
「だいいちはに政府は其の方針と奨励法とを誤まり」「形式と口とを先にして、最も大切なる手足の働きを後にせり」

 建設港湾急務を説く 「文明諸国の設備に驚く」正名20歳 (「第七章 文明諸国の設備に驚く」 『前田正名自叙伝 下巻』1937年)