愛北橋(本店・名古屋 支店・釧路)の判明記録210825
 愛北橋(本店・名古屋 支店・釧路)の判明記録210825

 現在、ネット上で流布しているデータをまとめてみました。
  ●地域経済史年表(2)  https://taweb.aichi-u.ac.jp/seiabe/rh/hyo/nenpyo2.html 
 「(明治20年09月 名古屋に愛北物産会社設立、釧路に支店」
この年表によると同年、
 「8月 旧藩士族による名古屋電灯会社の設立認可」「9月22日 勧業資金下付決定、名古屋藩士族に10万円」の記事があります。
 しかし、「勧業資金下付決定」の方針が、一に「名古屋電灯会社」、二に「愛北物産会社設立」と結びついたかは、決めつけられません。

 ●「函館を出発点として当時の日本の海運界に大いに貢献した大船主・日下部久太郎」
                          函館市文化スポーツ振興財団
  http://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/02_ka/02-kusakabe.html 
 「明治4年6月、庄屋吉衛門の二男として美濃岐阜市在の坂丸村(現・羽島市)に生まれる。21年、日下部一族が出資者となって釧路町(現・釧路市)に愛北物産会社を設立。この年の11月、久太郎は社員として少壮の志を立てて来道する。後に期する処があり同社を退社」。
 「明治26年、函館にて米穀・肥料・海陸物産商を開業し、傍ら海運業に乗り出す。しかし、たまたま米相場の暴落にあい失敗し閉店を余儀なくされる。」

 ●「市街地の形成と拡大:米町・真砂町界隈」「釧路歴史散歩」 まりもHP
 https://www.hokkai.or.jp/history/kusiro-sanpo/3-4-1.html
 (法人)「明治二十年には名古屋の愛北物産合資会社が真砂町に店を構え、酒醸造、米穀のほか海産物などを手広く取扱い、さきに述べた有料橋・愛北橋を自費で架設するほどの打ち込みようであった」。