ラヴクラフト覚え書き
ロード・ダンセイニ著「魔法使いの弟子」
訳者 荒俣宏氏のあとがきより

かれの劇がこの国で上演されて以来、どういうわけかダンセイニは、イギリスよりもむしろアメリカで人気を博する戯曲家になりました。もちろん、ダンセイニの作品は大正末から昭和初期にかけて、日本でも上演されたことがありましたが、評価がもっとも高かったのは、やはりアメリカでした。
そのために、一九一九年の十一月━━━━ 第一次世界大戦が終わってすぐのころにも、ダンセイニはアメリカ講演旅行をおこなっていたのです。そして一九一九年十一月九日、ブルックリンで行なった講演の際に、幻想文学史上の隠れたエピソードがひとつ生まれることになりました━━━━
その日、遅れて壇上に立ったダンセイニは、座席のいちばん前に陣取った、背の高い、あごの長い、それでいてどこか内気な男に気づいたのだろうと思います。このアメリカ人は、講演のあいだ一心に耳を傾けていましたが、会がお開きになったあと、サインをねだりにもいかなければ、握手をもとめるでもなく、遠くから黙ってダンセイニをみつめるばかりでした。
が、このアメリカ人は当夜の聴衆のだれよりも、ダンセイニの姿を直接みられた喜びに酔い痴れていたのでした。かれはその夜、家に帰ってから親友に宛てた手紙を書きはじめていくうちに、やがてこう書かないではいられなくなるのです━━━━
「七時に、わたしたちは大イベントの行なわれる会場へはいった。いちばん前の席をぶんどり、わたしは演者のまん前に坐ることになった。そこへ、遅れてはいってきたのは、夢にまで見たあのダンセイニの実体であった!」と。
この内気なダンセイニ崇拝者の名は、H・P・ラヴクラフトといいます。二十世紀アメリカの怪奇小説を一人で背負ったこの作家は、終生を故地のプロヴィデンスから一歩も出なかったといわれていますから、わざわざブルックリンに出てきたのは、よほどのことだったのです。こうして、ラヴクラフトとダンセイニは、一九一九年の一夜、演壇をはさんで、おそらく顔を見合わせあったのでした。