T・ハリス覚え書き
昨日は、映画ハンニバルを見る。
ミステリアスで寡作な作家ハリスについてNewsweek誌に、大変興味深い記事があったので残しておくことにする。

羊たちが沈黙を破るとき
キャスリーン・マグイガン

 トマス・ハリスがオプラ・ウィンフリーのトーク番組にゲスト出演する可能性は、ほとんどない。朝のニュースショーで、さわやかなキャスター相手に不気味な趣味を開陳することもないだろう。
 小説『羊たちの沈黙』の続編『ハンニバル』が全米の書店に並んだとき、その著者はできるだけ人目につかないところにいたはずだ。この作家は、有名人扱いされるのを嫌うことで有名だ。インタビューも受けないし、書店でのサイン会もしない。
 「どうしてマスコミを避けるのかと聞いたら、彼はこう答えた。『言いたいことは、すべて本に書いてある』って」と言うのは、出版元デラコート社の元編集長キャロル・バロンだ。
 だが、ハリスの肉声を聞ける方法が1つある。オーディオブックを買えばいいのだ。軽いミシシッピなまりで、人気小説のリズミカルな散文や、とりわけ不気味な部分を朗読している。
 この夏、アメリカの出版界は『ハンニバル』の噂でもちきりだ。注目度は映画の『スター・ウォーズ エピソード1』に劣らない。
 ハリスが突然、デラコート社に分厚い原稿を送ってきたのは今年3月。締め切りは数年前に過ぎていた。原稿は急いで印刷に回された(ハリスは編集者の助言に耳を貸さないから、編集の手間と時間は省ける)。
 超大型ベストセラーはまちがいない。ハリスは『羊たち』の後、デラコート社と520万ドルで2冊の小説を書く契約を結んだ。その1冊目にあたる『ハンニバル』は初刷りが120万部。映画化の権利もすでに1000万ドルで売れている。

料理好きの穏やかな男

 主人公のハンニバル・レクター博士は天才的な精神科医にして、連続殺人犯。犠牲者の肉を食べる趣味がある。
 物語は『羊たち』の7年後から始まる。刑務所を脱走したレクター。生き残った被害者の1人が、FBI(米連邦捜査局)の捜査官クラリス・スターリングを利用しておとり捜査をさせ、潜伏中のレクターを引きずり出そうとするが……。
 ファン待望の新作の内容は発売日まで固く伏せられていたが、怪物レクターを生んだ作家も大きな謎に包まれている。本人が語ろうとしないだけでなく、彼を知る人々も口が堅い。1つだけ、誰もが教えてくれることがある――料理と食べることが大好きな男だと。
 大柄で、髪が白くなりつつあるハリスは、現在58歳。口調は穏やかで、愉快そうに目を輝かせ、とても礼儀正しい。世捨て人というわけではなく、友人を招いて手料理のディナーと独特の語りでもてなすこともある。
 さらに、小説を読めば著者を知る手がかりがたくさんある。鋭敏な知性、通常のミステリー小説の水準をはるかに超える文章力、徹底した調査能力。ワイン愛好家としての情熱や、文学と芸術を愛する心も反映されている。
 母親のポリーは息子について次のように語っている。
 「子供のころはバットやボールに見向きもせず、とにかく本ばかり欲しがった。居間に小さなテントを張り、その中で本に埋もれていたわ。1日中こもりっきりで、空腹に我慢できなくなるまで出てこなかった」
 テキサス州の大学を卒業したハリスは新聞記者になり、1968年にはニューヨークに移ってAP通信に入社した。

徹底的に追求するタイプ

 後に書くことになる作品を思わせる兆候はまったくなかったと、AP通信時代の同僚で作家のニコラス・ピレッジは語る。「血なまぐさい事件もたくさん担当したけど、記者なら誰でも同じさ」
 ある夜勤のとき、ハリスは暇にまかせて2人の同僚と、ベストセラーになりそうなアイデアを出し合った。そこから生まれたのが『ブラック・サンデー』だ。
 「彼はあの作品にかかりきりだった」と、元AP通信記者のジョーン・タンプソンは言う。「出し抜けにこんな質問をされたよ。『きみが手術台に乗っていて、医者は手術用の手袋をはめていたとする。この場合、手袋の下の指にマニキュアをしてるかどうか、わかるものかね?』。考えをめぐらせ、細部を徹底的に追求する男だった」
 『ブラック・サンデー』が成功を収めると、ハリスはAP通信を辞めて創作活動に専念。現在はニューヨーク州とマイアミを行ったり来たりの生活で、長年の恋人ペース・バーンズと一緒に暮らしている(彼女も南部出身で、以前は出版業界で働いていた)。
 「豪勢な暮らしじゃない。中流の上という感じだ」と言うのは、有力エージェントのモート・ジャンクロー。要するに「心を大事にした生活」である。
 ここ10年は大半をパリで過ごし、コルドン・ブルーの料理学校にも通った。唯一のぜいたくは、ポルシェとジャガーを1台ずつ所有していることか。
 こうなると、謎はますますふくらんでくる。こんなにチャーミングな男のどこから、あれほど不気味なプロットが生まれるのか。
 「あんな本を書く人が、優しくて礼儀正しいだけのはずがない」と語る友人もいる。「『ブルーベルベット』のようなサイコスリラー映画も好きだと、本人から聞いたことがある」
 ふだんのハリスは、調査に明け暮れる毎日だ。『羊たち』のときは、資料集めのためにバージニア州のFBIセンターに通い詰めた。ある人は彼の家を訪れた際、映画のビデオに交じって、連続殺人犯テッド・バンディのインタビューのビデオを見かけたという。

レクターの次の登場は?

 94年には、イタリアの裁判所で傍聴する姿が目撃されている。恋人たちが集まる通りで数組のカップルを殺害、性器を食べたとされる容疑者の裁判だった。
 もちろん、異常犯罪そのものに夢中なわけではなく、妄想をいだいているわけでもない。AP通信時代の同僚ウォルター・ストーバルに言わせれば、「とどまるところを知らない想像力」に身をゆだねているだけだ。
 『ハンニバル』は、レクター博士が登場する最後の作品になるのだろうか。作品を発表する間隔は長くなるばかりだ。契約はあと1冊残っているものの、内容も時期もまったく予測できない。
 「彼にとって書くことは苦痛なんだ」と、ハリスの友人の1人は言う。「彼は書くために生きているのではなく、生きるために書いている。それに、彼は金を必要としていない」
 だが、ハリスには熱狂的なファンがいる。金のためではなく、彼らのためにこそ書いてほしい。

ニューズウィーク
1999年6月23日号