近代120年の地域開発理念&鮪利益=地域の開発質量に投資 武四郎像・嵯峨久像に寄せて240724
 近代120年の地域開発理念&鮪利益=地域の開発質量に投資 武四郎像・嵯峨久像に寄せて240724

北海道東部の中核都市・釧路市の幣舞界わいに位置する二つの像。
 幣舞公園の「松浦武四郎蝦夷地探検像」と冨士見坂西沿いに位置する「嵯峨久寿像」。
 「松浦武四郎蝦夷地探検像」に「阿寒国立公園生みの親」、「嵯峨久寿像」には「釧路漁業の父」と高評価が寄せられる。

 その意味を考えて見ることにした。「松浦武四郎蝦夷地探検像」の主=松浦武四郎の佐賀家家臣に贈った書簡。
 そこには「資源豊富&水系輸送で海陸輸送最適地 」と記載。明治初頭に佐賀藩が厚岸・川上二郡に農業移民と炭鉱技術者を送り込む積極的な要因となった。
 故に、武四郎の主唱を「1858~1975年=官民釧根投資誘因論理」と意味づけた。

 「嵯峨久寿像」の体現する点を考察してみる。
 碑文記載は「鰊旋網漁」に出漁。大正二年「十八隻六十三人犠牲」を出した鮪漁出漁漁船海難を機に<漁船動力化>を導入。
 「流網漁業組合之設定並漁港会社設立」時点で寿像=生存中の立碑建設(昭和5年)が実現。

 その後も最大の困難、すなわち長く辺境地漁業の販路流通を独占してきた「前貸商人既得権」を否定する生産者市場の開設を(昭和13年)達成した。
 「嵯峨久寿像」はここまでの業績を体現し、日本と釧路の経済が「1920年=工業近代化・漁船動力化 」の<社会すう勢>を「鮪漁業の利益をもって巧みに地域開発に<後戻り>することのないの可能性」を誘因した。

 二つの像は「外発誘因の釧路経済」のもと、今を生きる市民の二世、三世先に「在来者 定着の 過程」を用意した点が重要。

 24年7月24日、錦町の会場で開催。<女性経営者のつどい>で担当した「2024年7月例会 5年先の経営~外来撤退&在来試される釧路、次の時代の読み方~」から、その前半。