事態を「我が事」で向き合わないと 熊本県水俣の教訓=地域再興の市民自治199107
 二つの文脈で構成されている。
 「下手でもいいから自分たちで調べ」の前段が、「自治する力」「持続的な取り組みは不可能」とする後段に受けつがれる。
 そこには地域に広まる根深い偏見・中傷・差別による対立。そこを修復する営為であった。

一九九一年七月 「寄ろ会みなまた」を立ち上げられた。
熊本県&水俣市に市民が一体になって動き出した自治的組織に、水俣病患者や被害支援団体も参加。自分たちで足元の環境を調べてみることにした。

「地域資源マップ」をつくり、「あるモノをみつけて組み合わす」。新しい価値を創る組み立ての原点であった。

 事態を「我が事」で向き合わないと 熊本県水俣の教訓=地域再興の市民自治199107
一九九七年七月 県知事の「安全宣言」があるも、市中の対立、域外の偏見・中傷は消えなかった。

(以下の年譜を逆順で記載するに)
一九七四年 汚染防止の仕切り網設置、同七七年から公害防止事業実施。
一九九〇年三月 四八五億円投じて公害防止事業を実施、

一九五六年五月 五歳&二歳の姉妹、歩行困難、舌がもつれ、手が動かずに医師の元に。
 「移る病気」と警戒、患者&家族は周囲から口をきいてもらえず、家からでられなくなった。
一九五四年六月 ネコが狂い死にした報道。