北海盆踊り
 釧根郷土芸能振興基金の第32回 活動助成金贈呈式。釧路市域で贈呈されたのは「くしろ北海盆歌保存会」であった。

 戦没者供養、戦災復興祈願に起源をもつ「くしろ市民北海盆踊り」を令和6年で70年にわたり支え続けてきた。
 ところがこの盆踊り歌保存会。32回の贈呈記録のなかで初の贈呈対象に選ばれた。それが紹介する筆者の思いなのだ。
 贈呈式では恒例のこれまでの助成団体一覧が掲載されている。しかし、その記載内容には目をこらしてみたが、見当たらないのだ。

 同保存会の発足は昭和30年。戦後10年を期して、釧路市中心街に位置する歓楽街の有志は、企画した。
 ハード事業で戦災復興碑を建立するとあわせて、ソフト罷業で「くしろ市民北海盆踊り」を立ち上げたのっだ。
 どちらにも笛園社長の石田栄一翁の志が尊い。

 しかし、同氏が立ち上げた北海道くしろ蝦夷太鼓保存会や釧根郷土芸能振興基金とは、くしろ北海盆歌保存会は縁遠い位置にあったことになる。
 なぜか。助成団体の申請にはお目にかかっていた記憶がある。と言っても筆者が振興基金と関わるようになったのは平成22年度=第19回助成金贈呈からのことだ、
 申請ごとに僅差で助成をうけることが遠のいたが、いくつかの審査項目で優先度が高まらなかったと記憶している。

 1)確かに年一度のくしろ市民北海盆踊りを支える存在として不可欠な貴重な役割を積み重ねてきた。しかし、日常の鍛錬・研磨、加えて戦没者、加えて戦災犠牲者を慰霊する営為が不明確であった。
 2)基金発起人代表の石田栄一翁が口癖にしていたのは、「太鼓は神々を悦ばせる」。対比するに盆踊り歌保存会には戦没者、加えて戦災犠牲者を自らに、かつ市民に引き寄せる日常がうかがえなかった。
 3)地域団体としての地域コミュニティへの関わり、また、最近では学校教育のなかで地域教育教材として次世代への継承に努める動き、また、地域コミュニティ結集の吸引力してとしての機能も、強くは感じられなかった。

 つまり、他団体との活動歴や活動実績で後塵を浴びる評価が示されていたように個人的見解として思いえがく点なのだ。
 とは言いながら、令和5年は「くしろ市民北海盆踊り」も古希をむかえる節目にあった。
 70年支えつづけ、世代交代を積み重ねてきた偉業を、多くの市民が称賛する。永年の功績が評価された。

 そこは「くしろ北海盆歌保存会」の輝かしい栄誉としてこれからも顕彰されて当然と考える。
 戦没者供養、戦災復興祈願を支え70年 ≪くしろ北海盆歌保存会≫に釧根郷土芸能振興基金が助成240320