参勤交代、仮住まい居住者の増加 『江戸切絵図』=用途の背景
 参勤交代、仮住まい居住者の増加 『江戸切絵図』=用途の背景。

 江戸切絵図の出版に二つの版元あり、と。「尾張屋版」に「近江屋版」。


 
 そもそも江戸切絵図の出版は宝暦5年=1755年に古文字屋次郎兵衛と美濃屋平七が出版権を得て、公刊していた、と。

 ここで紹介、尾張屋、近江屋の版は、弘化2=1846年に願い出て、いると。

 近松鴻二著「都市江戸と地図」は書く。
 「すべての藩で支出総額の五十%以上を江戸での支出が占めている」
 「参勤交代の制度は大名が江戸と国許を往復するだけでなく、江戸の人口集中と大消費地化をもたらしたことがわかっている」(151p)。

 (江戸図が多数作成・刊行されたのは)
 「江戸が活況のある政治都市、大消費都市であり」「全国から人と物資と情報が集まる都市であったからであろう」。

 大名同士の交際。
 大名自身が独り歩きするわけではない。しかし、用を言いつけられた家臣が、そもそも、江戸での初勤務。

 江戸の人口
 慶長14年=15万人、1634年=20万前後、1657年=28万5千余。この間に参勤交代の制度が始まる。
 享保にはいると江戸の人口は100万を超えた。もう、全国300余藩の大名家、その上中下の屋敷を記憶するは困難。

 使いを出すにも、図面が不可欠。そうではなかった、か。17世紀中葉。宝暦にはじまる江戸図出版。