ドットではなく「テン」と読む。
6時過ぎに蒲田に戻った。シャワーを浴び、Macに向かった。何も振り返らず何も考えず何も思い出さず、待ってもらっていた企画書に取りかかった。バックアップマンが銀座と蒲田に三人。次々と指示を送りデータをバックしてもらう。12時を過ぎる辺りまでは順調だった。それからは30分刻みで頭が壊れていったような気がする。手が止まると、フラッシュ。音だけが甦る。あいつが粉砕されていった音だ。家に帰らずそれぞれのオフィスでスタンバイしてくれている連中のことだけを思い浮かべるようにし、十回は頭から冷水をかぶったか。まともなコーヒーが切れていたのでワタナベ土産のカンボジアコーヒーを濃いめに淹れしのぐ。この10日余り、2日に京都で知らされてから12日のわかれまで、すべてが夢の中のようだった。気を抜くと失神しそうになるのと、フラッシュバックする断片とで能率がさらに落ちた。4時半。アップ。かすむ眼をだましながらなんとか読み直し、webにアップ。メーリング・念のため、それぞれに添付も。10日間。眠った記憶がない。ベッドに入っても、信じがたい気分が襲ってきて眠っていたはずなのに、起きてみるとげっそりとくたびれていた。辻。はじめて会ったのが、九段の屋上部室だったか。パンドラだったか。大神宮の地下の雀荘すずだったか、その隣のバリケードに差し入れを持ち込んだママのいたバンバンだったか。靖国神社だったか。人形の家だったか。軽い心だったか。クラスはいちども一緒にならなかった。たぶん16歳の秋。お茶の水のMDに泊まり込んでいた夜更け、あいつと正門前に来る屋台のおでん屋によく行った。高校生だとわかってからは、おやじがいつも半額にしてくれた。引き手のところに汚く錆びついたような鉱石ラジオがぶら下がっていて、ひび割れた音で深夜放送がいつも流れてた。“突破あるのみ”が迫っていたある夜、腹いっぱいにしておこうとあいつが言い出し、ヘルメット片手に食いに出た。ラジオから♪明日という字は明るい日と書くのねぇ と ♪いいじゃないの幸せならば と ♪圭子の夢は夜ひらく が流れていた。がんも食う手を止めた16歳の高校生が二人、ため息つきながらその歌を聴いていた。あの頃のおれたちは日付を「.」をはさんで声にしていた。「ドット」ではなく「テン」と読む。あいつが倒れたのはだから「12テン1」逝ったのは「12テン8」通夜は「12テン11」告別は「12テン12」。さらに「テン」の前の月は素直に音で読み、以降の日は素数にして訓で読んだ。12月1日は「じゅうにーてんいち」。だからどうしたというわけでもない、が。春のようにおだやかだった「12テン12」は、未明から雨に。何の雨だか。辻、おれは寝るぞ。くたくただよ。