譲治へ12.7夜
譲治
過ぎていった時間を振り返って
どこかにかけがえのない一瞬があったのだと
苦笑とともに認めるとしたら
おれには、あいつやきみたちと過ごした日々が
その象徴のひとつだった。
あの時間がなかったら
少なくとも今夜おれがおれであると
思えるおれはいなかった。
おれは今現在の日々に何の後悔もない。
バカかと思われてもしかたないが
あいつに声かけられ十二年問のヒモ生活をやめてから
ずっと充実し愉しい日々を送っている。
ヒモ生活の時間も愉しく充実していたけどね。
そういうことの根底にきみたちと過ごした
短い時間があったのだと、
きのうあいつの寝顔を見ながら思った。
見舞いに行ったというよりも
自分のことを確かめるために
十年ぶりにあいつの顔を見に行った
そんな気がしている。
別れがたく、渋谷まで一緒に戻り
横江の案内で
むかし金がない頃に入ったような
時間の止まってしまったような店で
あてのない話をして過ごした。
横江は、あの頃より皮肉が減って柔らかな印象になっていた
日比野はひりひりしたエッジが少し丸くなって
昔は隠していた自分が弱いと思う部分をすっと出せるようになっていた。
ああ、こういうところを肴に
あいつと飲んだらうまい酒になるのだろうな
そんなふうに感じながら二時間を過ごしたよ。

譲治
いつもつるんでいたおまえに
ひとりであいつを見舞わせるのは酷だと思うが
どうか勇気を出して会ってやってくれ。
あいつの寝顔を見たら
きっと火が灯る。
疲れてはいるだろうけど
まだ誰も何も終わっていなくて
燃え尽きる瞬間まで
めいっぱい愉しく生きていくのだと、
おまえはおまえの時間を生きろと、
そういう気持ちをもらえると思う。
おれには
「面白かったよ、楽しかったよ」
と酔ってつぶやくあいつのコトバが聴こえた、から。
三人の娘たちにもし会えたら
なぜおれがそう感じたのか納得がいくはず。
家庭の幸福は諸悪の根源と言ったバカもいたけど
辻の家族を眺めていると
なんだ、悪くねーじゃん、
そう思えるよ。
あいつは、幸福だったのだ。

譲治
時間というのは
経ってしまったと思ったときから
たぶん過去になっていく。
おれはそう思って生きている。
でもな
きのうあいつの寝顔を見
横江や日比野と安坂場でくだを巻きながら
時間は複数流れているのだと実感した。
しんどいことだけど、ね。
おれの中でもしかしたらきみたちの中でも
時間はひとつではなく複数流れている…
気づくことがどういう経過を引き起こすのか
見当もつかないけど。

ひとりで見舞わせることになったけど
流れているはずの もうひとつの時間で
おれたちはおまえと一緒だと感じている。
不安も会わずに過ごした時間を悔やむこともなく
太平楽な寝顔でいびきをかいている
あいつの顔を見にいってくれ。

英治
英治さんがドイツ人の奥さんとお子さんを
連れて遊びに来てくれたときのことよく覚えています。
と夫人が言っていた。
譲治の指示に従うのもいいが
おまえは辻とおれたちとはまた違う関わりがあったはず。
おまえの声を聞いたら
あいつはもしかして心配して目が覚めるかもな。

    2007.12.7 益子拝

PS横江
辻が倒れた1日は下弦の月夜。
見えていれば、ゆうべは鎌のような三日月だったらしいよ。