知りたくはなし知るほかになし
病院の駐車場に着いたのが7時を数分まわっていた。一帯に夜霧が渦巻いていた。面会時間が過ぎたことを知りながら車から出られずにタバコに火をつけた。吸い終わったら行く、と言い聞かせながら青い霧を眺めていた。看護婦に会った。一押しすれば諾といわれそうな風情だったが、原則を告げる言質をとらえ引いた。病状はお教えできないのですと辛そうに言われた。昨日、家族から病状を聞いていますが、昨日から変化はあったのでしょうかと尋ねると、首を横に。外に出た。夜霧が濃くなっていた。会うために行ったけど、会えなくてよかった。明日は横江が行けるという。譲治も日比野も数日中にと言っていた。渡辺の運転する車の助手席から何本も電話しているうちに蒲田に着いた。気配だけでもきっと伝わった。そう思うことにした。安里と日比野のことはインターネットで娘と甥が調べてくれたと聞いた。いつのまにか連絡方法があいまいになってしまっていることにあらためて気づいた。賢明は、まだ術がない。首都高で向かっている間、つまらねえ仕事の段取りで腹が煮えた。事情を知るわけでもないのだからと思いながらも、情けない話の山に刺だけが膨らんでいった。アドレナリンを放出したままで病室に入れないと深呼吸を繰り返した。同じことを年中厭きずに繰り返してはいるが、こういうタイミングは、きっと致命傷になっていく、そう思った。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とは金言か。我慢していく意味が見当たらなくなっている。同じ時間に川田から法外な助け船あり。出船入り船である。

あいつとあの頃むさぼるように読んだ真崎の「死春期」だったか

 「知ろうとして知ったら負けると気がついて知りたくはなし知るほかになし」

そんなコトバ遊びがあったのを唐突に思い出した。
あいつはそういのを好んでいた。おかしな17歳だった。