DVD一枚、裁断す。
たかがしれたなかみの仕事でなぜあんなに二枚舌を使いわけながらすすめていくことが可能なのか、奇妙でならない。自ら追放したSを、したり顔で呼び戻し使おうとする厚顔も、気づかぬふりで応え続けるSの無知も、すべては一つ穴の、だ。ひとの表情から、このごろ何も読み取ることができなくなっている。腹立つというより、せつせつとつまらない。美しさに何の意味もなければ、それはつまり、ミ、ニ、ク、イ。シャワーを浴び、むりやりねじ伏せかけたところにWが福島からの知らせを届けてくれた。裁判の経過を知らせる案内に、あの人の字で、お届けしたDVDの礼が添えられていた。今日、仕上がり粉々に裁断されゴミ箱に放り込み記憶からも消去したDVDと、彼に届けたDVDの間には千年の隔たりがある。そう思いながら、短い添え書きを読み直し、ここに届けるためにやればいいのだ、と痛切に思った。そう考えたら、昼の出来事は、どうでもいいものになっていた。胸の内というのは見えないものではなく、あっけらかんとした機械的な仕組みなのではないのだろうか。気づいたら、イヤな気分がアトカタもなくなっていた。あるいは福島からの知らせに浄化作用があったのか。