春三月が暮れていく。
雨。まだ地下スタジオ。途中で福谷青年、発熱ダウンし退場。山岡独りでイスを移動させながら奮闘。最後は意地で過ぎた。一時近くに、クライアントと代理店を送り出し、閉じそうになる瞼を指で押さえ、額と首に冷えピタを重ね貼りし、顔を冷水で30回は洗い、一日で台本を2稿書き、口立てで編集を続けた。心かきたてるものが何一つない内容にもかかわらず、手を抜く個所は皆無だった。なぜモチベーションが持続できたのか。皆目不明。モチベーションが存在していたのかも、また不明だが。ひとつだけ思いあたることがあるとすれば、去年三月の末から徒手空拳ではじめたJapanesque・étude100に使った時間。水と月と風と海とだけに魅入られて過ごした独りだけの無為とも言える時間が、おれの何かを細胞ごと変えてしまったのかも知れない。そんな思いも、ある。他者と過ごしながら、自分の周りに透明な水の膜ができていることに気づかされる、そういう感覚もある。怒っても、気がつけば怒りが砂のようにこぼれていくのが見える。人と接しながら、人から遠ざかっていく自分を意識できる。