アデン。アラビアとギャグ・ゲリラ
編集は順調に進んだ。12時過ぎにスタジオを出た。雨上がり。
ふしぎなもので遠ざかるのが同時になっていることに気づく。
正しいあり方のようでもあり、どこかホッとした気分。
あとは風にまかせておけばいい。
後朝は、すでに数えきれぬほど歌ったはず。

関係がないことだと、昔、誰に言われたのか考えてみた。
17歳の春だったか秋だったか、たしか吉祥寺のファンキーで
2杯目のコーヒーを頼む金がなく、外に出て階段のところで
もれてくるモダンジャズを終電近くまで聴いていた。
その日、の昼過ぎ、西校のT・Sに宣言されたのだ。
正確には無関係の関係。と。

P.ニザンが、二十歳を誰にも美しいとは言わせないと、
アデン・アラビアの冒頭に書いた、その二十歳まで
まだ三年を残していたころのこと。
T.Sに教えられたロングピース、未だに吸っている。
同じ頃に教えられた高橋和巳は書棚から消えて久しいが。

ふり返っても二十歳という時期が自分にあったことが
信じられない。いや二十歳からこんなにも歳月が過ぎたことも。

なにをしているのだ。なにをしてきたのだと
問いかける胸の内の声も、とうにない。

バロン吉元は「柔侠伝」で“墓掘って寝ろ!”と書いていたが
墓穴を掘って、そのまま眠れたら、とふと思う。
マンガの影響は怖いものだ。17歳で読んだものを
いまだにはっきりと覚えている。

上村一夫。真崎守。宮谷和彦。樹村みのり。大島弓子。バロン吉元。赤塚不二夫。

脈絡もない、が。な。

もし、うまくいかなかったら、「破産」したらどうするんですか?

と聞いたら明大学館の薄暗い地下室で謄写版を切りながら
Hanazo…さんはこう返したことを思い出す。

 「どっかの温泉ヤクザにでもなってるだろうなぁ」

彼はいま、どこでどうしているのだろうか。
Hiyugaさんも、また。

いっときIguにもらったセコハンのフィアット・ブントを愛用していた。
狭くて故障ばかりして玩具みたいなクルマだったけど
「ブント」という名に魅かれていたのだと思う。
クルマをくれたIguのスタジオ前から乗って帰ろうとしたある春の夕
エンジンが煙を出しながら息絶えた。
唐突で律義。
終わりかたまで「ブント」らしいと思った。
二十世紀の最後の年だった。

ここまできてやっと、消炎。
こうしてずらしていくことを“知恵”とでも言うのだろうか。
“狡さ”だな、やはり。
酒を飲まずドラッグをやらない俺の、唯一の鎮静剤。だ。
情けないが、これが真実。