“2つのスプーン”
その日も夕日がきれいだった。
地形の関係なのかどうか。
ふりかえれば最初に行った十二年前の
土ぼこりいがい何もなかったような場所で
ぽつんと建った試作棟を撮っていた頃から
よく手を休めたくなるような夕焼けを見ていた。
高い建物のない工業団地だからからか
その奥に流れる利根川の水蒸気と関係があるのか
渡良瀬湿地が近いことと関係しているのか
なんの関係もなく、たまたま夕日を見るような時間に
あの場所に居合わせてきただけなのか。

道ばたですれちがった他人を見るような想いに瞬間とらわれた。
体調のせいだろうと思い目をそらせた。
何かの拍子に、また視野に入った。
近過ぎたせいなのか、煌々とともる蛍光灯のためか。

まさか、な。
それでは意地を通せまい。
そう考え、印象を頭から追いやった。

追いやって、後朝をつくした。
はずだった。

醒めていた。

新幹線が小田原を過ぎ
次は新横浜とアナウンスが流れたあたり。
窓の外は漆黒。
東海道も遅けりゃ、闇だな。
と思った瞬間に、つきものが落ちたような衝撃。

あわてて記憶をたどった。

たどってもたどっても
記憶から血肉が剥がれ落ちていることに気づかされるだけだった。
満ち欠けを逆にたどり、その新月にたどり着いた頃には
体中からなにかがこぼれ落ちていく、離脱していく感覚に溺れそうになった。

なぜ、いまなのか、
なぜここでなのか、
と自問を重ねているうちに六郷を越えた。

数えてみた。
1398と919。いつのまにか2317。
意味といえば意味。無意味といえばただの反古の塊。
誰の詩だったか“涼しい反古”なんて言い方があったな。

冬至を過ぎ、寒を越え立春を控え
ここまでか、と、ため息ひとつ。

これがなければ
たぶんおれはハードルを越せなかった。
どこかで利用していることを意識していた。
意識し、鎮め、昂ぶるにまかせた。

いくらかの痛みはあった。
あったが、ことばでねじ伏せた。
ひとりコトバ責め。

ハードルを越えたら
どう着地するのか、できるのか。
ソフトランディングなのかハードランディングか
秋の終わり頃から不安はあった。
でも、目を閉じ、乗り越えた。

乗り越えながら
もしかしたらこれが本願、と思ったことも。
思ったそばから、まさかな、と消し去ってはきたが。

手もとに福島さんの歌集でもあれば
暗喩を託しておくこともできるだろうが

ま、なくて、さいわい。
おりをみて、メモを消しデータを2フォルダーごみ箱に捨てれば
すべては消える。
あったことはなかったことに、なる。はず。

タガがはずれかかっていることに
雪に閉じこめられた山里の三晩をかけ
気づいてから
幕引きの時期ばかり考えていた。

ちょうど一ヶ月。
余情としては、ほどもいい。

21日の深夜に書いた
“2つのスプーン”。
あれが最後の後朝の歌となった。
そして、最良の。

しゃらくさくもあるが…。
いとおしくもある。