2005 12/19 04:14
Category : 日記
出すべきかどうか迷い続けながら書き上げ、けっきょく送信したところ。4年と5ヶ月。水引神社の2枚の写真を見ながら涙が止まらなかった。晴れ渡った水引のあの聖夜から丸4年。古河で合流し、買ったばかりだと言うスラヴァのトリニティ〜21世紀のアヴェ・マリア〜をフルボリュームで聴きながら濃霧の西会津街道を湯の花に向かった。雪に埋もれた宿についてひとふろ浴びて眺めた夜空にきれいな月が出ていた。窓をあけ、月明かりに照らし出された雪の村を見ながら三人で酒を飲み、森の祭りの話に酔った。それが21世紀はじめての聖夜だった。あけて25日は雲一つない真っ青な一日になり、水引に向かったのだ。五十嵐の痕跡を発見したのをきっかけに水引神社にまわった。そしてあの湧き水で手を清め参詣。誓いを交わしたのだ。同じ年の8月に満月を撮った翌日に参ったときに手に取れと言うように放り出されていた弓と破魔矢は、きちんと堂内の壁にかけられていた。あらためてその弓を手に、交互に誓いの矢を射たのだ。立ち会いは亡き五十嵐と、渡辺。埋め尽くした大量の雪。冬木立。湧き水。ほかにはなにもなかった。いらなかった。その夕、カネマンを訪ね上がり込み話し、伊南川を目に収め峠を越えた。その日、手渡された小さな人形は、まだバッグの中に入っている。あれから一度、バッグを買い替えたが、ずっと持ち歩いている。ホテルで宿で眠れない夜になんど慰められたことか。それから4年。
おれはいったい何をしているのだろう。どうして、こんなことを忘れてしまっていたのか。ほんとうに生きたいと思い描いた時間を、なぜ陽炎のようにあつかうことができたのか。なにが哀しくてここまで愚かにふるまえたのか。
おれの時間は、ここまでなのか。
水引に行ったら、帰ってこれるのか。
帰ってくるべきなのか。
わからない。
わからなくなってしまっている。
おれはいったい何をしているのだろう。どうして、こんなことを忘れてしまっていたのか。ほんとうに生きたいと思い描いた時間を、なぜ陽炎のようにあつかうことができたのか。なにが哀しくてここまで愚かにふるまえたのか。
おれの時間は、ここまでなのか。
水引に行ったら、帰ってこれるのか。
帰ってくるべきなのか。
わからない。
わからなくなってしまっている。