黒色の系譜/参照
 中国に「夫れ玄黄なる者、天地の雑なり。天は玄(黒)にして、地は黄なり」という言葉がある。「天の色は黒であり、地の色は黄色である」という意味である。また陰陽五行説では、黒は北(天国、浄土の方向)の色であり、季節は冬に対応し、聖獣では玄武(蛇+亀)が配当されている。いわば東洋哲学では、黒は天の色、すべてを束ねる色であり、最も尊い色であった。また老子の言葉に「玄の玄、衆妙の門」があり、その意味は「黒は幽玄の色であり、生死を超えた、あらゆる優れた道理の源である」と説いている。さらに7世紀半ば、殷仲容は「墨は五彩を兼ねる」として最初の水墨画を描いた。これは墨色は天の色であり、すべての色を統括して表す、最も代表的な色であるという意味である。
 以来、有彩色の西洋絵画に比し、黒色の水墨画は、中国、韓国、日本の絵画の規範となった。特にわが国では、室町時代、雪舟、雪村などの優れた禅僧画家が輩出し、水墨画はわが国絵画のひとつの基層となった。以後、池大雅、与謝蕪村などの南画、伊藤若沖、曽我蕭白など個性的で自由奔放な水墨画を描き、明治の富岡鉄斎に至るまで、連綿として墨絵の世界は開花している。
 この黒色の系譜は、他の世界、そのひとつ「茶道の世界」でも潮流になった。特に安土桃山時代、茶の宗匠の千利休は「わび茶」を提唱し、すべての虚飾を排除した茶室に美の基準を見いだしたが、なかでも陶工長次郎の「黒楽焼」を愛用したため、当時の教養人たちは「黒色の陶器」(黒楽焼、瀬戸黒、黒織部、黒唐津、黒釉天目)などを、ことのほか珍重した。茶道の世界のみならず、この黒陶器を好む風潮は広く一般社会にまで連綿と続いている。また江戸初期、京七流の初代創始者吉岡憲法は「黒染」の技術を開発したが、この「黒染」は、黒の袈裟衣、黒の羽織の技術として、今日までの染色の世界の基底になっている。 
 以後、日本人の「黒好み」「黒の系譜」は、時を超え、空間を超え、近代社会の現在まで脈々として生き続けている。
 1960年(昭和35年)、歌謡曲の『黒い花びら』が第1回レコード大賞を受けて大ヒットすると、最初の黒ブームに火がつき、松本清張の『黒い画集』『日本の黒い霧』などの小説が話題を呼び、さらに「黒のダッコちゃん」ブーム、続いてスキー映画『黒い稲妻』の影響から「ザイラー・ブラック」の黒のスキーファッションが大流行して、黒の大ブームが到来する。
 また82年(昭和57年)、ファッションデザイナーの山本耀司、川久保玲は、パリ・コレクションにおいて、全点「黒のコレクション」を発表し、世界のファッション界に衝撃的カルチャーショックを与えた。特に山本耀司の「黒のドレス」は「衣服に哲学がある」と、黒の持つ精神性が絶賛された。以後、2人の発表する「黒のドレス」は「オリエンタル・ブラック」「ミステリアス・ブラック」として世界の若者ファッションをリードする。82年以降、日本の若者ファッションは「カラス族」と揶揄されるほど、黒づくめのファッションが流行し、この圧倒的な黒ブームは98年まで、延々と続いていく。そしてこの「黒」嗜好はファッションのみならず、86年(昭和61年)から89年(平成元年) における家電、音響製品の黒ブームなどにまで現れる。