私は生かされている。野の草と同じである。
積水ハウスの編集、11時まで。
内容を考えれば順調にいったほうだろう。
それにしてもレイヤーのあるものは基本的に別枠あるいは
別の方法で処理していくようにしないと泥沼から脱け出せないと、あらためて。
Bテクは、あちこちに統一感に欠けるアラが目立つ。
二ヶ月後のDVD用編集の折りには、デザインを一新したい。
効率的にすすめるための方法について早急に山岡君と相談すること。

明後日、きゅうきょ札幌ロケハンとなった。日帰り。
きついがひさしぶりにコールツプロの藤本君と会えそうだ。
資生堂のロケ以来だから、ちょうど十年。
どんな顔になっているのか。
伸びていた無精ヒゲをいま剃ったところ。

男澤にも会えるのだろうか。
なんだかホモのようにドキドキするな。

おれの板前修行時代。
いや料理ディレクター時代にいちばん頼りにした二人。

東山魁夷の《作品篇》は
すべてアフォリズムでいくことに決めた。
数十年の時差の中で、東山自身が語る東山世界。
それだけで構成しきること。
一切の夾雑物なし。
筆まかせで書きとばすには、さすがに大きすぎる。
読み込むほどに、その思いが深まった。



アフォリズム冒頭の一行は

  『私は生かされている。野の草と同じである。路傍の小石とも同じである。』


さらに最後の一行は

   『これは何処の風景というものではない。』

と決めた。
明日は節分。
早起きして仕上げとしたい。