エンディングではないエンディング
件名: [jrtokai:00600] ラスト1分あるいは2分について
送信日時: 2003年 12月 8日 月曜日 10:16 PM
差出人: Toru Mashiko
返信先: jrtokai@dentsutec.co.jp


「メインショーのエンディングはエンディングにあらず」

このシークエンスは実験線の「ある一日=最高速度達成の日」を中心に
紹介される等身大の山梨実験線から、さらに一歩踏み込むことになる。

それは
時速500kmで宙を飛ぶ超高速大量輸送システムがもたらす
わたしたち自身にとっての望ましい明日の世界ビィジョンである。

快適である世界とは?
真のユビキタス社会とは?
ほんもののユニバーサルデザインとは?

すべての問いの中心にあるのは
「世界はどうあるべきか?」
という哲学であり、思想であり、世界観そのもの。

私たちの世界は
私たちのこれからは
私たちの毎日は

どんな色とカタチとにおいを備えているのだろうか?
あるいは「べき」なのだろうか。

第3次陸上交通革命の主人公 超電導linearの実現は
これらの問いにどう応えられるかという
その1点にかかっている。はず。

鉄道の
交通の
ありとある移動機関・システムが
抱え込み自らに問い続けてきたはずの問い


  「わたしたちはどこへゆくのか?」
  「ここではないどこかへ」


この問いにどれだけ近づけるか。
ラストシークエンスの存在理由がここにある。

だから
エンディングはエンディングではあり得ない。
それは終わりのimageではなく
JR東海が提示する交通システムを媒介とした世界のグランドデザイン。
この世界のさらに明日の時間を指し示すためのビジョンそのものなのだから…




来年の1月から2月にかけてlinearはメンテナンスに入ります。
12月26日を乗り切ったら、このあたりを精査するために
少人数での合宿をしませんか。
できたらゴージャス?な温泉で…
都留、大月以外のいずこかで…
手打ちうどんと油っこい弁当以外のメニューがある場所で…