雑感2.3
86年のチャレンジャーを見たのは一月の金沢の市場だった。寒ブリの捌きを撮影するために地元の板前たちと市場の中の寿司屋で打ち合わせていたときに、目に飛び込んできた。
昨日は、放送50周年だったのでなんとなく一日中NHKをつけっぱなしにしてサブエピソードを書いていた。
くぎ付けになりながら、なんだかいろいろなことが終わるのだろうなと思った。
9.11のときに感じなかった終末感のようなものにとらわれた。
JRのシノプシスを書きながら今日は、ずっとその思いが離れなかった。
たぶん「巨大技術」がコストセーブで滅んでいくことがいたたまれなかったのだと思う。


経済が行き詰まって、身の回りをふり返ると、信じがたい情けなさに満ちていることを痛感する。

家電もクルマもあらゆる製品がチープで愛せないものになっている。
雑巾をしぼるように節約するなどと一兆円も利益をあげるメーカーが真顔で語り、みんなが平気でうなずいている不気味さ。
そのあたりで買ってきた菓子の袋の封が切りにくくなっているので良く見ると、切り込みを入れていないことに気づかされ、こんな工程ひとつはしょってどんな儲けが欲しいのかと暗澹とさせられることも多い。

なんだかなあ。つまらねえよなあ。
これでも立春。