骨音と愛惜。
石田の「骨音」の表題作を夢うつつで読み終わり、眠りに落ちた。

コトバのままに落ちた。

いつもなら這ってでもしておくいくつかのことも忘れていた。熱があっても仕事がどんなにたてこんでいても疲れのピークにあっても不幸のさなかにもぜったいに欠かさなかったいくつかのことを夕べは頭の片隅に浮かべながら、ああやらなくちゃ…と意識の波間に浮き沈みさせながら、重い体を引きずるように這うようにベッドにもぐった。

寝しなにか、目覚め頃か、女との夢を見た。ディティルの記憶はゼロ。ただ、文字通り夢のような[夢]だった。おかしな言い回しだが、ほかに書きようがない。

細部の記憶がないにもかかわらず、はずんだ気分と濃密すぎる感情に満ちていたということだけを覚えている。

その女が誰なのか、身近にいる女なのか、ずっとむかしの断片化した相手なのか、スクリーンの女か、小説の女か、まったくわからない。

おれはかなり都合よくできた脳の持ち主らしく、官能に関わる夢で実在以外の、会ったこともない女の夢を見て笑った夜の記憶を持たない。だからきっと、ゆうべの女は過去か現在かはともかく実在の知っている女なのだとは思う。

官能とは書いたが、ベッドにからんだ夢ではなかった。満ち足りてはずんでいるが、セクスそのものではなかった。

9時間眠り、汗で起きた。汗はカゼのせいだと思う。あるいは続いている微熱と30時間あまりかけてしまった興奮状態の余熱だったのか、夢見たこととその夢の気配だけが残っていて、そのことを忘れがたくシャワーも浴びず着替えもせず飯も食わずにメモしておく気になった。

外は小春日和。カーテンを開けてデスクトップに向かうと直射日光で顔も手も日焼けしそうなサンルーム状態。

9時間眠ったにもかかわらず体は泥のように重い。またベッドにUターンしてこのまま怠惰な白昼夢にひたりたいと思わぬでもない。

書いてしまえば、いくらかはそんな怠惰さから気をそらせることができるか、と考えたが、どんなものか。

シャワーではなく風呂にゆっくりとはいって、あの小骨のようにひっかかった不確かな夢といやな汗を落とそう。

台本にかかる前に、まず渡辺からもらった厳選ビデオ(本人いわく)をチェックし、幕末から昭和初期の海の夢に手をつけたい。


唐突に浮かんだ文字。


   愛惜。


ウエブ辞書によれば愛して大切にすること、また名残惜しく思うこと、とある。
思い出しきれない『夢』だが、こんなところ、か。


なお、石田衣良の短編「骨音」は傑作。
石田のエッジの先端が見える、そんな出来だった。