フェイクと急先鋒
熱中の結果としての徹夜のつもりだった。
MAVドタキャン。17年目ではじめての体験。

怒りも屈辱も、なかった。

善後策を打ち合わせた後の帰りのクルマの中で
半分は寝ながら、さらに帰宅し風呂に入った後で3時間あまり
なぜこうなったかを考え続けた。

さらに14時間眠り熱いシャワーでこの一週間の砂を落とした。

さらに考えてみた。

結論。
彼と我との《場》の本質的な隔たり。
指摘はいずれも修正可能であり、修正すればベターなものになることは自明。
寄せ集めをまとめるだけだから、勝負の綾は、使える時間とカネだけにある。
問題はただ一つ。
ゴールを決めていたこと。
そのゴールを絶対時間として設定し、
一週間のエネルギーを注ぎ込んだこと。

ダメならのばしてもいいというゴール。
ロスタイムの終わりを告げるホイッスルだけを、耳を澄ましきって待ち続けた。
アクロバティックではあるが、交通事故さえ起きなければ、頭を下げ続けてもゴールに持ち込める所までたどり着いていた。
はずだった。0-0の膠着をぶちやぶるホイッスル寸前にジャンプして放ったヘッディングシュート。
視界にはネットだけ。跳び出したキーパーの影すらも無い。
当てる。飛ぶ。ポストの四角にボールが入る。ホワイトアウト。

見てもいないサッカーになぞらえりゃ、こんな気分か。
少なくとも悔いはないゲームオーバーのはずだった。



フェイク。
ロスタイムそのものがフェイク。


怒りも屈辱もなく、ぼう然とした気分だけで、指摘を聞いた。

指摘を聞き、自分がこの後を引き受けたほうが良いのかどうかを尋ねた。
そうしてほしい、と答え。

その答えの真意がどこにあるのかはもう気にならなかった。


自分が立っていたフィールドが
実はもっと巨大なフィールドの一部であったことに唐突に気づいた。
11人の世界がある。その11人の中の一人のボランチだけに、
全体とはまた異なるフィールドがある。
そんなふうに考えてみた。

彼と我との違いは、そこに。

そこだけにあったのではないのか。


降りろ、と言われなかったことは情の問題ではなく、
あくまで勝つための方程式にのっとったものだと考えれば
経緯は砂にしみるように得心できる。


怒りも虚脱もなく、聞いていられたのは
たぶんそんなことを無意識の中でイメージできたのだと思う。


さらに、試されているのだな、
という思いも強い。
コトのスケールを考えれば、それも当然だ。

とりあえず
一週間のロスタイムとなった。
ウエットに流れることなくドライに徹しきること。
持てる余力を出し尽くす。
急先鋒の役割を解かれたのではなく、
さらに武器と兵糧を与えられた上で
もう一度突進せよ、と命じられた。

そう理解してみることに決めた。

一週間。さらに戦線を深め拡大してみる。

これはたぶんそういう類いのゲームなのだ。