10日夜七時。須賀川が燃えた。
10日夕、思い立ち、須賀川に急行。
郡山で東北線に乗り換え須賀川に。会場までのシャトルバスに飛び乗って五老山へ。人の波に混じって進む途中の夜店で腹ごしらえ用に焼き肉を買っているときにジ・アースのアテンダント3人とばったり。挨拶もそこそこに松明あかしの丘に急ぐ。燃えていた。人をかきわけ、丘に上がる。去年の撮影地点よりやや高め正面からの焔の群れは壮観。丘を下り、最前列に。須賀川二中の応援団のそばに陣取り火の粉を浴びながら見入った。見入られた。魂を奪われるような、引きずり込まれるような圧倒的な焔。燃え落ちた松明の名残が地上で火の海をつくりだし、じっと立っていられないほど高ぶった。松明太鼓がさらに狂騒をかきたて、日本のどこにも見ることのない静謐でありながら激烈な勇猛さを秘めた奇祭が深まっていく。目の前の光景に比べれば、去年撮った映像など屁のようなもの。制約があったとはいえ、あのポジションからは、この松明あかしの秘めた本質は望むべくもなかった。たとえどんなに巨大なスクリーンだろうと3Dだろうと、あれはローポジに据えるべきだった。松明あかしの本質は、地に立って、あるいは跪いて、あるいはひれ伏して慟哭とともに、炎上する城を見上げる、それ以外にはありえない。そのことを思い知らされた。

新しく知らされたことがある。
体制に秘して、松明あかしをつづけるために、考え出した名分は「むじな狩り」だったとか。
たとえばこう考えてみる。
須賀川の民衆が智慧を絞って編み出した「むじな狩り」に名を借りた怨念はらしの奇祭「松明あかし」を成立させるために、狩りだされたことになった「むじな達」は、大挙してジ・アースのあったあたりの森に逃げていったというまことしやかな物語が付け加えられる必要があった。
それが「むじなの森」という地名で残った。

こんなふうに夢想してみた。
ジ・アースの屋上に掲げた幻の戦旗「屈服は致しませぬ」の由緒は、まことに正しいものだったのだと、思った。
2001年11月10日土曜日五老山の夜、大地は確かに燃えていた。