笑うしかない、秋の昼。
渡辺から荒川沿いを走っていると電話があったのが1時間ほど前。
雨上がりのきれいな光だから東北道も快適だろう。
ほとんど何もなくなった須賀川を秋のやわらかい光が満たしている。
そういう光景を見るには絶好の日だったと思う。

起きてはみた。天気も上々。
さてとりかかろうと思った。
音楽をつけた。
そこに渡辺からの電話。
苦い笑いがこぼれる。

書きたくもないものを目の前にして
行きたい場所が彼方にあって
そこは光におい満ちているという。

まずい日曜だよなあ。

東京駅に向かって郡山まで行って
東北本線で須賀川までトコトコ揺られて
あの9月29日の午後のように須賀川の駅に降りる。

いろいろな出来事の重なった日だった。
初秋の午後の光が野や水田にあふれ、
コスモスとススキが線路ぎわをいろどっていた。

あの日のことをまだメモにしていないことに気づく。忘れてしまわないうちに、
あのおだやかで信じられないほど静かな時間として過ぎた夕暮れまでを記録していない。
というよりもたった今まで忘れていた。

前の座席で文庫本を読んでいた中年の男性。
左右の窓を過ぎていく、黄金色の風景。
午後の太陽と秋空。
弛緩した地方のローカル線の空気。
ひなびた路線沿いの駅。
まだ石炭が落ちていてもおかしくないような、東北の田舎の鉄道の沿線。
須賀川からのタクシーからながめたむじなの森。
夕焼け。西に沈む夕日と東に顔を出した十三夜の月。
その月を背に行き来する宙のゴンドラのシルエット。
あの夜の動揺した思いと合わせ鏡のように存在した美しい時間。それを忘れていた。
なぜ苦しい時間を記憶して、
何でもない幸福な時間がそこにあったことを忘れてしまってたのか。

いい天気ですよ、という渡辺の電波のせいで少し聞き取りにくい声を耳にして、
一気に甦った一月前の時間。

むじなの森に行きたいと、痛切に思う。
たとえ秋の感傷だとしても。
今日はその感傷の中だけで生きていたい、そんな気分がある。

こりゃ、書けねえな《C》。

9年間で3回、コンペに負けたという意味は
こういうことなんだよな。
プロローグどまり。
笑うしかない、秋の昼。


誤算ではなく、これが正解。