「人館一体」。なるほど
運営スタッフのディレクターの一人坂本君から以下のメールが昨日届いた。
「人館一体」という造語が気に入ったのでここに転載した。
1日に訪れたというアテンダントが誰かは知らぬが、その想い、よくわかる。
それにしても「金色むじな」の最後の一体を坂本が持っていてくれたのは嬉しい。
会津の少年白虎隊の起き上がり小法師たちとともに、「むじな」もまた86日間をよく守ったことになった。
松明あかし、時間があえばおれも行ってみよう。こんどはあの小松明の群れをのんびりと見てみたい。
福島の祭りにはどこか「耐え忍ぶ」ような想いにあふれたものが多い。須賀川の松明あかし、白河の提灯祭り…
8月12日に見たあの「すり足」行列の異様なまでの迫力を忘れられない。
アイリッシュダンスの奔放なエネルギーにも魅かれるが、ためこんだ想いを奔出させる寸前でとどめたような「すり足」の静かな気迫にはさらに深まるものがあった。



《会期中にジアースへ監督からメールを頂いた時に、
「須賀川と東京と離れていても、高ぶる思いは君たちのそばにあります。」
このフレーズの意味をきちんと確かめたく、ダイアリーをひとつづつ読みました。
監督の気持ちが伝わってきました。
あの儚い夏の伝説・・・いや今となっては神話かも?

閉幕の翌日の10月1日ジアース館の外壁があっという間に壊された。
その日、あるアテンダントから自分の携帯にメールが着ました。
「1日に入口にあるプランターを貰いに行った時に、ジアースの姿を見ました。
もうあそこには行けない、行くと悲しくなるから・・・。」

形あるモノは全ていつか消えゆく。

はじめから消えていく事はわかっていても、
どうにも収まりがつかない。
こだわりや執着心でなく、
あれほどまでに、情熱をかたむけ
感情移入した事はなかった。
まさに「それがすべてのはじまりだった・・」
あのフレーズの意味の大きさがわかった気がする。

人馬一体という言葉がありますが、
むじなのみんなは、きっと「人館一体」だったんでしょうね。
ジアース館は無くなっても、
9月30日に全員で分かち合った、あの感動は不滅です。

僕は11月に「松明あかし」を見に須賀川へ行って来ます。
あのスタッフと共に楽しんできます。
「俺たちのたいまつぅ〜〜」なんて叫んだりして(笑)

監督、こちらこそ長いお付き合いを宜しくお願いいたします。

PS10万人来館記念でお客様に差し上げた、
金色たぬきの「むじな君」の置物のもう一匹は
僕が大事に飼っています。》