《なぜ夏休みは終わってしまうのか》
8月の終りに読んだコラムをメーリングで送ったら、それぞれの身辺がかいま見えるような返信が続いた。意外でもあり、納得できる思いもあり。女の人の方が、より色合い濃い反応が多く、それが時代なのだなと実感。



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昨夜ぼんやりと夕刊を読んでいたら
ちよっと気になるコラムがあったので…

28日の朝日新聞夕刊2版の文化欄「永遠の宿題」に掲載。
書き手は大林宣彦。
タイトルは《なぜ夏休みは終わってしまうのか》
けっこう長いコラムなので冒頭と結語だけを引用しておきます。
お手元に本紙があればそちらをご覧いただきたい。





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『何かが終わっていくのは、さびしいしかなしい。
その哀切を感じる心は、人生歳(とし)を経るほどに増してくる
と考えられるが、じつはぼくはそうでもないのではないか、と思う。
子どもの頃の方が、もっとさびしかったし、もっとかなしかった…(略)』

『子どもはどんどん成長していく。
夏休みが終わって学校へ行くと、先生も、教室の机も、運動場も、
まるで見知らぬもののように小さくなっている。そこは未知の世界だ。
未知の世界に向かって一歩を踏み出すのは恐ろしい。
だから彼らは、いつも世界に向かって緊張している。
これが大人になれば、ひと夏の前も後もそんなに変わりはない。
さびしさやかなしさを忘れ、生きる意味さえも失っていく。
夏休みの終りを考えることは、だからこの人生において、
無くしてはならないものだと思う。
その哀切は、じつは来るべきあしたを創造する力なのだ。
さびしさやかなしさの向こうからこそ、新しい何かが、
生まれてくるのである。それは伝えるべきものの
大切さを学ぶからでもあるだろう』 以上原文のまま
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朝起きて窓を開けると秋風が吹いていたので、
昨夜読んだこのコラムをもういちど読んでみました。
ま、いろいろ思いもあるでしょうが、お伝えしたくなったので…

じつは昨夏に買って四日目までたどりついて挫折したゲームを
これから再開しようかなと思っている。
PSの《ぼくたちの夏休み》。こんどは最後までいけるだろうか。


よい秋を迎えてくださいね。


            2001.8.29  益子拝