愛惜。
《外伝2》をいま3回見直したところ。
今日、どうして六本木で街のノイズにやられたのか理解できた。

6月の末から聞いていた音を思いだしたから。
夕暮れのカナカナ、夜のカエル、革命へのオマージュを集めたピアノソロ、スタンゲッツ、サラ・ブライトマン、スラヴァ、トニー・スコット、フレディ・マーキュリー、雨の音、風のざわめき、雷、嵐、秋の虫…

とりわけくりかえし聴きつづけたのが8月12日に手に入れたピアノ・ソロ。そのなかの一曲《My Revolution》だった。盛夏から秋にかけて、この曲を数百回は聴いたのだ。
月光に重ね、夕日のジ・アース館に重ね、オフィスで過ごす多くの時間をリピートさせて過ごしてきた。いやまだ過ごし続けている。

《外伝2》では施工の点描シークエンスにこの曲をあてた。いちども居合わせることのなかった時間が、ここにある。雪の中での現場事務所開きから地鎮祭、基礎、施工と続く一連の乾いた記録写真が《My Revolution》とともに1分20秒にまとめられている。
ここにおれはいない。何があろうと万難はいして立ちあいたかった時間である。
ものがつくられていくことが、なぜこうもせつなく感じるのか、その意味をこの目で確かめておくべきだった。
そんな後悔も強い。

午前4時30分。
こういう仕上げを確かめるにはいささかきつい時刻ではあるが。