八月の濡れた砂を聴いた。
暗がり。木立の下に落ちる水銀灯の灯。
銀座で買った文庫本を読みながら、高校生のようではあるなと、おかしかった。
ああいう時間はなぜ苦にならないのか。
せっぱ詰まった仕事が目の前にないだけでこんなに違うものなのか。
夜の灯も、通り過ぎる人も、それぞれくっきりとイメージに定着する。
いつも見てはいないのだと気づく。気づかされる。
夜風が気持ち良く、読むのをやめて通りを何度か往復した。
いままではなんの興味もなかった光景が、にわかに人懐こいやさしげな印象にスイッチされる。デジャヴ。ありえない。
神楽坂へ。街が変わったようにも見えたが、相変わらず落ち着く場所ではあった。
時間が過ぎるのが速い。閉店時間を過ぎているのに声もかけずに放っておいてくれるコーヒー店というのも、この街らしいなと納得しながら帰宅。湾岸を走りながらスタンバイを解除した。今日になって後悔したが、ま、そんなものだろう。
現地のスタッフからのメールで台風の備えにはいった、と。
ふいに、ジ・アース館が風で飛ばされていくイメージを思い浮かべた。それも悪かねえな、そう思った。
醒めるにしても、はやすぎるかな、とも思ったが、やむをえまい。

日暮れから、オフィスに。
須賀川に様子を見に行くか、とちらっと考えたが、明日が車検のリミットだと渡辺が言うので、捨てた。

東京に大雨洪水警報が発令された。
警報はひさしぶりだ。心ひかれる響きではあるが、どうということもない。

石川セリを取り出して「八月の濡れた砂」をじつに数年ぶりでかけた。くりかえし聴く。
雨のせいで湿気におしつぶされそうな空気である。