下品も「品」のうちなのか。
MBLをライブで観戦しているとしみじみ感じることがある。
顔、というより表情の圧倒的な差異。

たまたま昨夜は巨人-阪神戦を久しぶりに観た、勝敗はともかく、選手の表情のまずさがひどく気になった。
顔の美醜ではなく、品格のあきれるほどの欠落ぶりといえばいいか。あるいは風格。風情。色気?
他人の品格をうんぬんしているわけではなく、あくまで見え方、見た目ではあるが。

巨人の選手たちは一部をのぞいてことごとく下品な表情がはりついているのは、いつからだろう。
たとえば清原は30歳を過ぎてどうしてあんな街のちんぴらのような顔を維持できるのか。たとえば元木は、なぜあれほどずる賢い表情をカメラに撮られることに無自覚でいられるのか。
無残だな、とマリナーズのライブを観ながら思い返ししている。顔の造作ではない。表情と雰囲気のことだ。
そのことは昨日の国会中継にも重なっていく。
北海道の人たちはどういう理由で鈴木宗男に投票できたのか。あの話し方。あの表情。身振り。ほんとうにこんなやつに投票し続けてきたのだろうか。こんなやつが街頭で演説をし、あるいは集会に顔を出し、あの調子で話しをされて、腹を立てたりバカにされているのかな、とは感じないのだろうか。いやじゃないのだろうか。
政治家を「選良」という。このコトバがそれほど機能的に作用した例を見ることはほとんどないが、かといって無でもない。
こんなやつが影響力を維持してこれた外務省というのは、たしかに「伏魔殿」という他にない。

ジャイアンツの下品さ。サッカーの日本チームの大半の選手達の下品さ。政治家の下品さ。いずれも幼さに置き換えられると思うが。
あれらの表情をなんとかできないものか。