舘岩村のこと
八日一日降り続いた。
そのまま午後五時に突入。
雪の勢い衰えず。
5テイク、すべて順調。
舘岩村前沢集落の人たちの徹底した協力と
水引神社の水の精の力を得て、我、
いや我々は二年越しの雪との戦いに勝利した。
そんなふうに書きたくなる、二日間だった。
語りたいことは、たくさんあるが、
ここではただひとつだけ。

昼に現場のテントに入ったときに見慣れないおばあさんがやってきた。
昨晩、ぼくたちに食べさせようと臼を出してモチをついたから食べなさいという。
寒いときには腹持ちがいい食べ物がいちばんだからと言いながら。
切りモチと、豆モチをそれぞれ袋にたっぷり詰め、醤油の小瓶と、焼き海苔のパックを二袋、ストーブに載せるためのアルミホイル、小皿をそろえて。
おばあさんはすぐ近くの家の人だとばかり思っていたが、夜になって宿でスタッフと話していて、この六日間ではじめて見た人で、どの家の人なのかわからないと判明。
いちばん奥の方に帰っていったのを見た、と美術スタッフ。
その集落は全部で十八軒の曲家があり、十七軒までが小勝さんという姓である。
ぼくたちが産院に設定したのは突き当たりにある郵便局につとめる小勝さん宅。
その奥には階段があり背後の山の神社へと続いている。ただし積雪で上がれない。

おばあさんがくれたモチをストーブで焼きながら六個食べ、腹が苦しくなってふうふう言いながら本番間際まで集会所で原稿を書いていた。

撮影が終わり、残りの原稿を書くために一足先に宿に向かいながら、十年前に同じ舘岩村の水引地区で曲家の炉端シーンを撮っているときに、やはりおばさんからとちもちをふるまわれ食べ過ぎてうなったことを、渡辺から指摘された。

その夏のことをなつかしく思い出しながら、今日のおばあさんはどこに帰っていったのか、ふしぎな思いにとらわれた。

会津舘岩村、ここは我が心のふるさととなった。
ぼくはこの村の雪の景色を忘れないだろう。