九州一の怪談
菱井十拳さんの「怨霊黙示録・九州一の怪談」を読みました。

これは、福岡県の宗像神社の宮司である宗像家の家督争いから起きた凄惨な暗殺事件、いわゆる山田事件とその後におきた怨霊話を素材にした実録物語です。

宗像神社の大宮司を務める宗像氏が戦で討ち死にし、宗像氏内部で家督を誰に引き継がせるかについて、氏男の弟・千代松を推す派と正氏の庶子・氏貞を推す派とに分かれた家督争いが起きました。

そのような状況下で、氏貞側から指示を受けた石松又兵衛尚季らによって、天文21年3月23日白山の麓の山田館において正氏の後室山田局と娘の菊姫、それに小少将・三日月・小夜・花尾の侍女4人が次々と惨殺されました。

その後邸宅の後ろの山の岸の下に穴を掘り菊姫親子を一緒に埋め、死んだ女房四人も傍らに埋めたと言われています。

また千代松の母である弁の前は、千代松を連れ鞍手の沼口に身を隠していましたが、千代松を生かしておけばいずれ災いとなるに違いないと思った氏貞派が差し向けた討手により、宮若市山口村で母子共に串刺しにされ殺害されました。

討手はその場所に二人の亡骸を埋めて印に松を植えたと言います。

この事件の後に、宗像家では事件に関わった者たちが次々と怪死や変死し、数々の怪異が起き、宗像領内では山田事件の怨霊のせいではないかと噂されました。

そして、事件の七回忌にあたる永禄7年、氏貞の妹の色姫が母と一緒に双六に興じていた際に、色姫が突然髪を振り乱し「我は正氏の妻なり」と言って目を怒らせ母を責め立て、自分(山田局)と娘(菊姫)を殺したことを怒り恨んで母である照葉の喉に食らいつき、傍らにいた者達が大勢立ち寄って引き離しましたが、その外も後室に仇 なした家人共に恨みを晴らそうと怒り狂い、氏貞派であった家臣がその日に突然死したと言います。

色姫の狂気は暫くして治まりましたが、色姫に食らいつかれた照葉の喉の傷はなかなか癒えず、やがて他の病気にかかり死去したと言います。

その後、氏貞が怨霊を鎮めるために寺を建てたり供養しようとしましたが、なかなか祟りは鎮まらなかったそうで、比叡山から僧侶を呼んでの法要も異変が起こったとも言われています。

実際に、宗像家でおきた事件からの実話怪談だそうで、宗像家の祟りについては私も少し知っていましたので、面白く読めました。