2018年07月の記事


疫神社夏越祭
今日は7月31日で、八坂神社の疫神社で疫神社夏越祭が行われるので行ってきました。

疫神社は、八坂神社の四条通りの石段から上がって楼門を入った正面にある小さな神社です。

蘇民将来を祀る神社で、八坂神社や祇園祭にも大きな意味を持つ神社と言えます。

1か月近くにわたって行われた祇園祭の最後の7月31日に行われる夏越祭は、祇園祭の締めくくりとも言える祭事で、疫神社の鳥居に茅の輪を付けて、祭祀の後で参拝者が茅の輪を潜り穢れを祓う神事です。

今日も京都は晴れて凄い暑さでしたが、多くの方が参拝に訪れて長蛇の列になっていました。

疫神社の前にはテントが作られて、神社や祭の関係者が着席されてました。

10時に祭祀が始まって、テントの関係者の参拝が終わってから、一般参拝者のお詣りが始まりました。

4名くらいずつで茅の輪を潜って、疫神社にお詣りし、希望者は茅の葉をいただいて帰れます。

暑い中を長時間並んでしんどかったですが、祇園祭の締めくくりの祭事にお詣り出来て良かったです。
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京阪電車ダウン
今日は大阪市内に用事があったので京阪電車の寝屋川市駅に向かいました。

8時過ぎに駅に入ってホームへ行くと電車が止まったままでした。

1つ先の萱島駅で車両故障が起きて、京阪電車は全線で停止していて、対応中と言う事でした。

車両故障なら、それほどかからないと思って、電車の中で待ってたのですが、そのうちに電車の中も電気が切られて電灯も空調も停止しました。

暑くて車両から出てホームで待つ人も多かったです。

通勤時間帯なので、みなさんかなり焦ってられましたね。

しばらく待ったのですが、どうにもならなそうなので諦めて改札を出て駅から離れて、どうしようかと考えました。

それで、バスで地下鉄の駅まで行って、地下鉄で大阪市内に無事に行くことが出来ました。

用事も済ませて、さすがに京阪ももう動いてるだろうと京橋駅に行ったのですが、駅の周辺にはたくさんの人が溢れています・・・まさか!

京阪電車は、11時前でもまだ止まったままだったんですね。

困ったなぁと、どうやって帰るか考えて、近くの地下鉄の駅まで行って、そこから朝と逆ルートで地下鉄とバスで帰る事にしました。

聞いて話では、車両故障だけでなく線路やケーブルのトラブルらしく時間がかかってると言う事でした。

タクシー乗り場にも長い行列が出来てましたが、京橋付近には詳しいので、道路でタクシーを捕まえて、地下鉄の駅まで向かい、そこから地下鉄とバスと乗り継いでようやく昼頃に帰って来れました。

大阪市内は、割と路線とか頭に入ってるのと、地図も持ってたので、何とかうまく対応できて良かったです。

しかし、今年は地震で止まったり、人身事故で止まったり、車輛故障で止まったりと、何かと京阪電車でトラブルに遭いますねぇ。
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小さな神社
昨日に、淀にあるお寺へ行きましたが途中にある小さな神社は、先月の地震被害により、まだ立ち入り禁止でした。

灯籠や石塔など倒れたままでした。

小さな神社なのでなかなか修復も進められないのでしょうね。

前を通るといつもお詣りしてた神社なんですけどね。

早く復旧して、またお詣りできるようになって欲しいです。
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万願寺唐辛子バーガー
京都水族館に、また行って来ました。

時間潰しのつもりでしたが、やはり土曜だと多いですね。前回の鮎の塩焼きドックに続いて、今回は万願寺唐辛子バーガーです。

京都水族館攻めてますね。

京都のブランド京野菜の万願寺唐辛子を使う所は京都ですね。

辛いかなと食べて見ましたが、さして辛くもなく普通に美味しかったです。
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宝物虫払会
京都の真如堂では、7月25日に宝物虫払会が行われて行って来ました。

年に1度、宝物の虫干しをかねて一般公開されるもので貴重な寺宝が身近に見れて感激でした。

また本堂内陣では、塗香で身を清めて御加治を受けてから安倍晴明所縁の「決定往生の秘印」を額に押し当てていただき、その印紋のお札を授与していただけました。

これで極楽へいけるでしょうかね。

いろいろ貴重な体験でした。
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鹿ヶ谷カボチャ供養
今日は、安楽寺さんの鹿ヶ谷カボチャ供養に行って来ました。

安楽寺さんは、通常は非公開のお寺ですが、年に何度か特別拝観をされています。

7月25日は、鹿ヶ谷カボチャ供養と言う法要が行われます。

鹿ヶ谷カボチャは、昔に東北に旅行した人がカボチャの種を持ちかえり、それを鹿ヶ谷の人が栽培すると突然変異なのか独特の形のカボチャが出来て、それを鹿ヶ谷カボチャとして栽培され続けられています。

また同じ頃に、安楽寺の住職だった真空益随上人が本堂でご修行中に、ご本尊の阿弥陀如来から「夏の土用の頃に、当地の鹿ヶ谷カボチャを振る舞えば中風にならない」という霊告を受けられたそうです。

以後7月25日に供養日を定め、鹿ヶ谷カボチャを調理して参拝された方にふるまわれるカボチャ供養が行われ、多くの方が訪れる京都の夏の風物詩になっています。

今日も京都は暑い中でしたが、多くの方がカボチャ供養に訪れてられました。

いただいたカボチャもよく煮られていて、柔らかく美味しくいただきました。

鹿ヶ谷カボチャの独特の形も面白くて良いですね。

前から参加したかった法要でしたので、楽しく参加出来て良かったです。
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長円寺
淀にある長円寺さんに、お見舞いをかねてお参りして来ました。

長円寺さんは新選組にも所縁のお寺でご住職も存じ上げております。

先月の地震でお堂に被害が出てお参りも断られてましたが、先日から閻魔堂のみお参りを再開されました。

ご住職に少しお話とお見舞いを申し上げてました。

お堂は外壁とか被害が大きくて、まだ修理がかかりそうですね。
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御神輿
祇園祭で、今年は暑さに配慮して花傘巡行が中止になりました、それだけ今年の暑さが異常なのでしょうね。

さて、祇園祭と言うと山鉾が注目されますが、実は山鉾巡行は穢れや疫病を祓う浄めみたいな物で、本当の主役と言うか大切なのは御旅所に安置されてる御神輿なのですね。

御旅所の御神輿こそ神霊の乗せた肝心な物ですから、こちらこそしっかり拝んで欲しいですね。
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大船鉾
今日から祇園祭も後祭の宵々々山ですね。

今日も暑い中をあちこち見て回ってました。

後祭では大船鉾が人気ですね、神功皇后の凱旋をテーマにした鉾ですね。

後祭の鬮取らずでしんがりを務める締めの鉾ですね。

竜頭が素敵です。

今日はまだ人が少なく感じましたが(それでも混雑してます)明日はもっと混雑しそうですね。
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雨乞い
京都の神泉苑に行ってきました。

神泉苑と言えば昔から雨乞いで有名で、東寺の弘法大師と西寺の守敏との雨乞い対決が有名ですし、静御前も白拍子として雨乞いの舞を舞ったとされています。

私もこの暑さを何とか出来ないかと雨乞いを祈願して来ました。

善女龍王様、何とか雨が降って暑さが治まるよう心からお祈りいたします。

何とか御利益があって少しでも雨が降って、暑さが治まると良いですね。
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日差しが痛い
所用で嵐電に乗って嵯峨野まで出かけました。

外の陽射しの暑さが厳しいですね。

日陰は少しはましですが、陽に当たると暑いではなく痛いと感じてしまいました。

ほんとに、恵みの雨、慈みの風が欲しいですね。

故事にならって神泉苑で雨乞いの祈祷をしたくなりますわ。

弘法大師さま、何とかお願いいたします。
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綾戸國中神社
京都は祇園祭の最中ですが、祇園祭は八坂神社のお祭りであると共に、所縁のある社寺として、元祇園梛神社・粟田神社・神泉苑などがありますが、南区にある綾戸國中神社も大きな関わりのある神社です。

綾戸國中神社は、昔は綾戸宮と國中宮の二社でありましたが、現在では合祀されて、左に綾戸宮で右に國中宮が鎮座されています。

社伝によれば、第26代継体天皇の世には大堰川(桂川)七瀬の祓神として大井社でありましたが、第62代村上天皇の天暦9年(965年)に綾戸社に改称されたそうです。

また、國中社は本来蔵王の杜(現光福寺蔵王堂)に社地があり、中世には牛頭天皇社とも呼ばれていました。

古くには久世郷全体の郷社であったようですが、戦国時代に、國中社が綾戸社の境内に移され、以来綾戸國中神社と称するようになったそうです。


さて、初めに書きましたように、綾戸國中神社は祗園祭には欠かせない重要な役割を担う神社であります。

その昔、神代の頃の話ですが、「素盞鳴尊」(スサノオノミコト)が山城の訓世(くぜ)の郷がまだ一面湖水に覆われていた時に天から降臨し、水を切り流し土地を開き、広々とした平野とされたのでした。

そして、その國の中心と思われる所に、「符」(ふ)を遣わし給いました。

その「符」とは素戔嗚尊の愛馬である天幸駒の頭を自ら彫刻して、新羅に渡海する前に形見として遣わされたのでした。

この形見である「符」が國中社の御神体であり、訓世の郷から祗園祭に供奉する稚児が、胸に御神体である駒の頭の彫刻を棒持することから「駒形稚児」と言われるそうです。

こう言う伝説もあり、この「駒形稚児」と祗園祭との関係は深い物があります。

「國中社は素盞鳴尊の荒御魂なり。八坂郷祗園社は素盞鳴尊の和御魂なり。依って一体にして二神、二神にして一体で神秘の極みなり。」

と古文書に記されているそうです、

そして、「御神幸の七月十七日に訓世の駒形稚児の到着なくば、御神輿は八坂神社から一歩も動かすことならぬ。若し此の駒故なくしてお滞りあるときは、必ず疫病流行し人々大いに悩む。」

とも伝えられていると言います。

つまり、祇園祭の7月17日の山鉾の巡行後に行われる御神幸と呼ばれる八坂神社から神霊を乗せた御神輿を御旅所へお迎えする神事で、駒形稚児が到着するまでは御神輿を一歩も動かすことは出来ません。

もしも、駒形稚児が不在などの不測の事態が事あるときは、疫病が流行るとされています。

そう言う理由から、御神体の駒形を奉持することで駒形稚児は神位であり、神そのものとされ、長刀鉾の稚児も下馬する八坂神社境内を騎馬のままで南楼門より参入し拝殿を三巡の後で、一歩も地を踏むことなく本殿に昇殿し祭典に臨むとされています。

そして神幸祭、還幸祭では中御座神輿(素盞鳴尊)の先導を務める事になるのです。

こうして、綾戸國中神社の久世駒形稚児として、祇園祭に不可欠な大きな関わりがあるのです。

こう言う綾戸國中神社ですが、綾戸國中神社には全国でも唯一とされる事が二つあるのだそうです。

1つは國中社の御神体が駒形であることです。

またもう1つは新幹線開通のため神社が移転を余議なくされた事だそうです。

神社があった敷地に新幹線が通る事になり、移転を余儀なくかなりされたそうで、これも珍しい事と言えるそうです。
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熱中症のときには
酷暑が続いて熱中症で倒れる人も多くいますね。

もしも、一緒にいる誰かが熱中症と思われる症状に見舞われたとき、どうすればいいでしょう?

基本的なことを以下に挙げてみます。


〇まずは、涼しい場所に移動させましょう。

屋外であれば、木陰など日差しをさえぎり、風通しのいいところです。屋内であれば、エアコンの効いた部屋に移します。

涼しい場所で安静にさせたら、衣類を緩めましょう。

ネクタイやシャツのボタン、ズボンのベルトなど、身体を締め付けるものは外します。


〇次に身体を冷やします。

しかし、急にはそのような緊急な状況で保冷剤などを持っているということもないでしょう。

そう言う場合は自動販売機などで買ってきた、缶飲料やペットボトルで十分です、最近は凍らせたのもありますね。

ただし、注意しなければならないのが、缶飲料やペットボトルを直接身体に当てないこと。

それでは冷えすぎてしまうので、タオルやハンカチなどに包んで使うようにします。

冷やすポイントは3ヵ所です。

首の前の部分(前頚部)、脇の下、そして足の付け根です。

なぜこの3ヵ所かというと、ここには太い静脈が体表の近くを流れています。

静脈の血流というのは、非常にゆっくりだそうで、つまり、体内に戻っていくゆっくりと流れる血液を冷やすことで、身体の中から効果的に冷やすことになるわけです。


〇そして、冷えた水を飲ませます。

ポイントは、自分で飲ませること。

介護する人間が飲ませるのではなく、例えばペットボトルなどを持たせ、自分で飲ませるのです。

きちんと自分で飲むことができれば軽症で、応急処置が奏功すればそのまま回復していくと思われますが、水をこぼしてしまったりして上手に飲めない場合は、意識障害があると考えられるので、医療機関の受診が必要です。


〇最後に、救急車を呼ぶタイミングですが、これははっきりしています。

ポイントは、「意識がしっかりしているか?」ということです。

「涼しいところに移動させる」、「衣服を緩める」「身体を冷やす」「冷たい水を飲ませる」といった応急処置の過程で、意識が朦朧としているようであったら、どの時点であっても、すぐに救急車を呼び、医療機関に運んだほうが安全です。

救急車が来るまでの間の大事な注意点は、決して1人にしないこと。

症状を軽く見て、「木陰で休ませておけばいいだろう」なんて思わないことです。

必ず誰かがついて見守り経過を観察し、応急処置を続けて、救急車の到着を待ちましょう。


以上ですが、熱中症になる前に対策をして無理をしないように気を付けて、気分が悪く感じたら早めに身体を冷やしたり水分や塩分補強して回復を待つのが無難ですね。
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暑いです
ほんとに暑いですね、日差しが凶器に感じます。

各地で熱中症や倒れる方も多いですし、皆さんも気を付けて無理されませんように。

被災地の皆様や活動されてる方のご苦労は大変な事と思います。

お大事にと願うばかりです。
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祇園祭
京都の夏と言えば祇園祭ですね。

昨日から先の祭の宵々々山でした。

京都はカンカン照りの暑さのなかで、あちこちの鉾や山を巡って御朱印をいただいてました。

ほんとに、暑さと日差しでクラクラして、ふらついて歩きました。

今日はもっと人も多いでしょうし、行かれる方は暑さ対策万全で行って下さいね。
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角倉了以忌
京都の嵐山にある大悲閣こと千光寺さんで、いただいた御朱印です。

千光寺さんは、京都の河川や土木事業に功績を残された角倉了以に所縁のお寺で、7月12日は角倉了以の命日になり角倉了以忌が行われると言うのでお参りに行ってきました。

この千光寺は、河川の開削などで犠牲になられた方の菩提を弔うために清凉寺の近く建てられたお寺を、保津川を見下ろす今の位置に移築されたお寺だそうです。

ご住職が他の寺も持たれてて多忙と言う事で、法要は参加する事は出来ませんでしたが、お寺の僧侶の方にはいろいろ貴重なお話しをうかがえて、御朱印もいただく事が出来ました。

先日の大雨では下の保津川も増水して危険な状況だったそうで、嵐山から保津川沿いに進む千光寺さんは孤立した形になったそうでした。

また、千光寺さんは嵐山からも川沿いをかなり歩く距離にあるので日本人のお参りは少なくて、逆に景色が良いからと外国人観光客には人気らしく、お寺に来る方のほとんどは外国人なのだそうでした。


法要は参加出来ませんでしたが、先の大雨の被害がひろがっている今の時期に、河を見守るお寺にお参り出来て良かったです。
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祈りをこめて
届かない祈り

叶わない願い

起きない奇跡

何もできずに見守るしかできない自分

それでも・・・

やはり祈らずにはいられない

願わずにはおられない

あなたが幸せでありますようにと

あなたが笑顔でありますようにと

それだけが私の祈り

たった一つの願い

叶わなくても・・・

届かなくても・・・

せめて祈らせてください

ただ願わせてください

あなたの上に星が降りますように

あなたが暖かい光に輝きますように

哀しみに優る幸せが訪れますように・・・
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世界で一番バカな旅人
(これは、「フルーツバスケット(花とゆめコミック、高屋奈月)」さんの漫画の中に出てくるお話をアレンジして私なりに書いてみました。残酷な表現もありますので、お読みになる方はご注意くださいませ。)

ある所に、バカだと言われてる旅人がいました。

その旅人がどうしてバカだと言われてるかと言うと、すぐに人を信用して、いつも騙されているからです。

旅をしていて、街の人達からお金が無いと言われてはお金をあげて、着る物が無いと言われては自分の服を渡し、食べ物が無いと言われると自分の食べ物を分けてあげていました。

でも、街の人達は旅人の事をバカだと思っていますから、いろいろと嘘をついてはお金や服や食べ物を騙しとっていました。

旅人は疑う事を知らない人ですから、物をあげて「これで助かります」と礼を言われると、これでその人が助かるのだと喜び、ポロポロ涙を零しては「お幸せに、お幸せに」とその人の幸せを願うのでした。

そうこうしている内に、旅人は服も靴もお金も食べ物もなくなって裸になってしまいました。

さすがに裸では街を歩くのが恥ずかしいので、旅人は人のいない森の中を旅する事にしました。

ところが、森にはいろいろな魔物達が住んでいました。

魔物達も旅人がバカな事を知ると、旅人の体を食べてしまおうと、言葉巧みに騙していきました。

旅人は、やはり疑う事を知らずに、指を一本、腕を一本、足を一本と言う具合に魔物にあげて、食べられて行きました。

そして、とうとう旅人は頭だけになりましたが、それでも旅を続けていきました。

ある日、旅人は最後の魔物に出会いました。

魔物はやはり旅人を騙して、旅人の目を騙し取りました。

魔物は旅人の目を食べてしまうと、「ありがとう助かりました、お礼に贈り物をします」と言って紙切れを置いて行きました。

その紙切れには、「バカ」と一言だけが書いてありました。

しかし、旅人は目が無いので見る事ができません。

それでも、旅人はポロポロ泣きながら「ありがとう、ありがとう、贈り物を貰ったのは初めてです、うれしい、うれしい、本当にありがとう」と言っては無い目から涙を流して喜びました。

やがて、身体の弱った旅人はそのまま亡くなってしまいました。

旅人はバカだったかも知れません。

しかし・・・いっぱい騙されて、いろいろな物を取られましたが、心はいつも温かくて幸福で満ちていました。

やがて、亡くなった旅人のたましいは、天使達に連れられて神様の所に行き、光り輝く天使に生まれ変わりました。

そして・・・やはり、どこかで暖かい心を贈る天使として旅を続けているのです。

贈る心・・・贈られる心・・・その幸せな暖かさを伝える天使として。
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大雨
先日からの大雨が続いて、各地で被害や続いていますね。

交通機関も停止や乱れがでていますし、多くの影響が出ています。

皆様の所は大丈夫でしょうか?

被害が拡がらないように祈っております。
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お砂踏み
今日は大雨の中を東寺で行われている四国別格二十霊場開創五十周年記念出開帳・お砂踏みに行って来ました。

早朝からたくさん人が来られてて、お堂を取り巻くくらいの行列になっていました。

やはり東寺の人気もありますが、四国霊場も人気高いですね。
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機物神社
7月に入り、そろそろ七夕も近いので、「織姫」を祀るとされる交野市の「機物神社」(はたものじんじゃ)へ行ってきました。

JR学研都市線の津田駅から南の方に向かった交野市の倉治の地に織姫と言われる「天棚機比売大神」(あまのたなばたひめおおかみ)を祀る機物神社があります。

この機物神社は諸説ありますが、だいたい4~5世紀の設立と言われ、この地を治めていた「秦氏」(はたし)に所縁の深い神社で、そもそもこの付近の「津田」の地は「秦田」、また神社のある「倉治」(くらじ)の地は「秦者」(はたもの)と読んでいた時代があるそうで秦氏が住んでいた地と言われています。

秦氏は渡来氏族で京都にも深い関わりのある氏族ですが、様々な技術を日本に伝えており、養蚕や機織の技術も伝えたと言われています。

その秦氏である「秦者」の人々が祀る神社と言う事で「秦者の社」(はたもののやしろ)と言われていたのを、後に七夕伝説と結びついて「はたもの」の名を「機物」と置き換えて、現在の機物神社になったそうです。

養蚕や機織を伝えた秦氏の神社が織姫の神社になるのはなるほどとうなづける部分もありますね。

機物神社の祭神は、「天棚機比売大神」(あまのたなばたひめのおおかみ)と「栲機千々比売命大神」(たくはたちぢひめのみこと)の二神なのですが、もとは「天棚機千幡栲機千々波比売命」(あまのたなばたちはたたくはたちぢわひめのみこと)だったのを長いと言うので二つに別けたとも言われています。

普段は静かな古社ですが、7月6日・7日の七夕の時期には境内に笹の木を立てて多くの願いを書かれた短冊が吊るされて賑い多くの人が訪れるそうです。

また、境内にはおり姫の可愛いキャラと機織機が納められているのもそれらしくて良いですね。

まだ、七夕には少し早いので笹は立てられていませんが、笹を立てるためのポールは立てられていました。

神社の本殿前の鳥居が立ち入り禁止になっているので宮司さんに伺ってみると、やはり先日の地震で鳥居がずれたそうで、一応の修理は終えてるそうですが、安全のために通行禁止にしているそうでした。

今日は、まだ閑散としていましたが、それでも地元の人で参拝に訪れる方も割とおられました。

これから、七夕に向けて徐々に盛り上がっていくのでしょうね。
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天得院
京都の東福寺塔頭の天得院の桔梗を愛でる特別拝観へ行ってきました。

少し遅れて行ったので庭側にはほとんど座り込まれてて、ゆっくり見ることも出来ずに立ったまま庭を覗きこむくらいしか出来ませんでした。

桔梗の花はきれいに咲いていましたが、お庭の苔は少し寂しい感じでした。
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風まつり
京都の千本ゑんま堂さんの風まつりにお参りしてきました。

夜にお参りするのは無理なので朝にお参りして、ご住職にいろいろ教えていただきました。

ゑんま堂のご住職は高齢の尼僧の方ですがいつも優しくて隠れファンになっています。

本堂の前にはたくさんの風鈴が吊られて涼しげな音色で風を感じさせてくれますね。
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長岡天神
京都の長岡京市を通っている阪急電車京都線、その「長岡天神」駅の西側に駅の名前の元となった「長岡天満宮」通称を長岡天神と言う神社がある。

天満宮であるから菅原道真を祀る神社であるのだが、境内の「八条ヶ池」を渡る参道の両側には霧島ツツジが植えてあり、春になると霧島ツツジが満開となり真っ赤な参道になることで知られるツツジの名所でもある。

宇多天皇の信任も篤く、右大臣の地位にあった「菅原道真」が筑紫の太宰府に左遷されたのは延喜元年(901年)であった。

道真は、藤原一門を抑える人物として期待も高かっただけに、突然の左遷は平安京での衝撃も大きかったようだ。

左大臣の「藤原時平」の讒言だったとも言われており、都の人々にも同情の声があがっていた。

人々の菅原道真を惜しむ声は、都だけでなく近辺にも広がり、長岡にも道真の左遷の話しが伝わってきた。

その頃、長岡の「乙訓寺」に付属する長岡精舎の坊官に、「中小路宗則」「西小路祐仲」「東小路祐房」の三人の人物がいた。

この三人は、いずれも日頃から道真の人柄に深く惹かれて崇拝していたので、ただちに都に上ると、大宰府の配所まで道真の供をする事を願い出た。

こうして道真は、供を許された三人を連れて都を離れたが、長岡まで来るとだんだんと遠のいていく平安の都を思い、惜別の切なさに思わず涙ぐんでしまった。

三人の供をする者も、道真の心中を思うとその労しさに涙ぐみ、嗚咽がもれるのを堪えるばかりだった。

その道真と供の三人の周囲には「榊」が生えており、その榊の枝の青さがいっそうの悲しみを誘ったと言う。

やがて菅原道真は、おもむろに側にあった榊の一枝を折ると

「我の、この身は筑紫におもむくとも心はこの地に留まるべし。その証しに、この榊の枝はこの地に長く栄えるだろう」

そう言って折った榊の枝を地面に突きさした。

その榊の枝は、道真の言葉通りに成長し葉が生え茂るようになるのだが、この逸話から現在でも「長岡天満宮」の境内には榊が植えられて葉を実らせ花を咲かせている。

さて、道真らが筑紫の太宰府に着いたあとも、宗則ら三人は、道真の側に仕えてかいがいしく世話を続けていた。

この三人の道真に対する忠信は、道真にもありがたくて深く感謝させたのだが、一方では、自分はもう都に呼び戻されることはあるまいし、このままでは私と共に将来ある若者三人を筑紫の田舎で埋もれさせてしまうと思ってしまうのである。

こういう思いが募り、やがて意を決した道真は、ある日三人を呼び出すと、心を鬼にして都へ帰るように申し渡したのだった。

三人は、道真が自分たちを思って言っている事は察したが、

「私たちは、道真様のお側に仕えるだけで満足なのです、どうかこのままお側に仕えさせてくださいませ」

と言い、この地に留まることを願ったのだが、道真の決意は固く、三人の願いにも関わらず道真の気持ちは変わらなかった。

こうして道真の決意を変えられずに、やむなく三人は、大宰府を去る決意をしたのだが、道真は自身の姿を自ら彫った一寸八分(6センチ程度)の木像を三人に贈って名残を惜しんだと言う。

三人と道真は別れを惜しみつつも、やがて別れの時となり、三人は後ろ髪を引かれる思いで大宰府を後にして長岡へと帰り、そして元居た長岡精舎に戻って行った。

それから約二年が過ぎた後の延喜三年(903年)、菅原道真が太宰府の配所で寂しく世を去ったとの話が三人の元に届いた。

それを聞いた宗則ら三人は、道真から戴いた木像を御神霊として長岡精舎に祀ったのである。

これが、後の「長岡天満宮」の謂れであり、長岡天神として地元はもとより、広く信仰を集めることになったと言う。

また長岡の地は、菅原道真が生前に「在原業平」らと共に、 しばしば遊んで詩歌管弦を楽しんだ縁深い場所であるとも言われている。

なお、長岡天満宮は皇室の信仰も仰いでおり寄進や造営を受けて、寛永15年(1638年)には八条宮智仁親王によって「八条が池」が築造されて始めに書いたように霧島ツツジが植えられて花の季節には多くの参拝者や観光客で賑わう事になっている。
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