宗論
最近は御朱印の関係もあり、お寺の法要や法話に参加する事も多くなりました。

お寺さんとも親しくさせていただく事もありますが、宗派もいろいろとありお念仏を唱えたり、お題目を唱えたり、般若心経だったりしてしまいます。

なるべく、お寺で他宗派の話は避けるようにしていますが、いいのかなと思う事もあります。

狂言の曲目に「宗論」と言うのがあります。

狂言らしい笑いと批判精神とがある名作です。



「宗論」


身延山から帰る法華宗の僧と、善光寺から帰る浄土宗の僧が出会い道連れになる。

二人は仲良く話しながら行くが、お互いの宗旨が判ったとたんに反発して喧嘩になる。

法華は情がこわいとか、浄土は愚鈍だとか貶し合いがはじまり、法華の僧は口実をもうけて別れようとするが浄土の僧は付いて来て、お互いの宗祖伝来と言う数珠を相手の頭上にいただかせあい、争いは過熱する。

やがて法華僧が宿に泊めると浄土僧も後を追って同じように泊まり宗論が始まる。

法華僧が「五十展転随喜の功徳」と芋茎にかけて説くと、浄土僧は「一念弥陀仏即滅無量罪」と無量の菜と解釈して説き、お互いにけなし合い勝負がつかないで寝てしまう。

朝になり、浄土僧が朝の経を読み始めると法華僧も勤行を始めて経を読む。

お互いに対抗して「なむあみだぶつ」「あむみょうほうれんげきょう」と経を読む声がだんだんと大きくなり、やがて「なもうだ」「れんげきょう」と拍子に乗って夢中で踊り出し、踊り念仏と踊り題目の張り合いになる。

そうこうするうちに、いつしかお互いの名号とお題目を取り違えてしまい、相手の文句を唱えてしまう。

間違った二人は、そこではじめて釈迦の教えに隔てがないことを悟り「法華も弥陀も隔てはあらじ」と歌い和解する。



なかなか面白い中で考えさせられる狂言ですよ。

でも終わり方は真理をついていたりしますね。