2018 04/26 04:33
Category : 日記
京都府の「亀岡市」と言えば戦国武将の「明智光秀」が治めた土地として知られている。
その明智光秀が亀岡に築いた城が「亀山城」で、別名で「亀岡城」とも呼ばれるお城である。
明智光秀が本能寺の変で織田信長を討ったが、その後に豊臣秀吉に敗れて三日天下に終わった後も繁栄し、江戸時代初頭には近世城郭として整備されたと言う。
しかし、大正時代に新宗教「大本」が購入し、神殿を築いたが大本事件で日本政府により爆破・破却されてしまう。
こうして内堀と天守閣跡を残す程度となってしまったが、戦後に大本に返却され、現在では大本の本部が置かれていて許可がないと立ち入れなくなっている。
その亀山城は様々な伝説の舞台ともなったようであるが、中には悲劇の舞台となった事もあったようだ。
天下泰平となった世の中でのこと。
亀山城の城主が、城下の機織屋の娘に恋焦がれてしまった。
機織屋の娘は「糸繰姫」と呼ばれており絶世の美女であったと言う。
糸繰姫は、さっそくにお城に召し出されて城主の寵愛を受け、城主は朝から晩まで側から離さなさない溺愛ぶりであった。
山海の珍味を揃えたり、豪華な着物や道具を与えたり贅沢に接待して糸繰姫のご機嫌を取り、家臣たちも気を使って接していった。
しかし、そういう日々が続くにつれ、城主の政治はおろそかになり、城内も乱れて汚職がはびこるようになり、城下も落ち着かない暮らしとなって来た。
家臣たちは、このままではいけないと思い城主を強くいさめると、もともとは優れた城主であったために家臣の忠言に眼が醒めたのである。
城主は、自らの態度を反省し「糸繰姫を下ろしてしまえ」と、姫を帰すように命じたつもりだった。
しかし、この命を聞いた重臣は「殺してしまえ」と聞き間違えてしまったのである。
重臣は、部下に命じて糸繰姫を庭の敷石の上に引き出させると、切り殺させてしまう。
この事を聞いた城主は悲しみにあふれ、聞き間違えた重臣を呼びつけて首を刎ねようとしたが、そこで思い直し「もともとは自分が美女に血迷って政治をおろそかにしたのが原因だ」と考えて、重臣を手打ちにするのを思い止まった。
その後は、城主は反省して真摯に政治に取り組み、城内も平静を取り戻して、城下も活気を取り戻していった。
しかし、哀れなのは間違いで罪も無く斬り殺された糸繰姫である。
そもそもは美人で気立ての優しい娘であり、贅沢も城主が一方的に機嫌を取ろうとした物で姫が望んだ物ではなかったのである。
糸繰姫の親族や知る人たちは涙を流して悲しんでいた。
糸繰姫が斬り殺された敷石は、姫の無念の印のように血がこびりついて何度洗い流しても落ちなかった。
城主は、この血染めの敷石を見るたびに哀れと悲しみを覚えたが、しかし、すべては自分の愚かさが招いた事であり、自らの戒めとして政治に励んだのである。
その後、城主が亡くなると、この敷石は三枚に割られたのだった。
一枚は姫の実家へ送られ、一枚は城主の松平家の菩提寺の「光忠寺」へ送られた。
残された一枚は姫がよく散歩していた城中の堀沿いの松の木の側に置かれたと言う。
それ以来の亀山城は、血染めの敷石を教訓にしたためか名君に恵まれたそうで、城下の人々は儚く世を去った糸繰姫に思いを馳せて冥福を祈ったのであった。
その明智光秀が亀岡に築いた城が「亀山城」で、別名で「亀岡城」とも呼ばれるお城である。
明智光秀が本能寺の変で織田信長を討ったが、その後に豊臣秀吉に敗れて三日天下に終わった後も繁栄し、江戸時代初頭には近世城郭として整備されたと言う。
しかし、大正時代に新宗教「大本」が購入し、神殿を築いたが大本事件で日本政府により爆破・破却されてしまう。
こうして内堀と天守閣跡を残す程度となってしまったが、戦後に大本に返却され、現在では大本の本部が置かれていて許可がないと立ち入れなくなっている。
その亀山城は様々な伝説の舞台ともなったようであるが、中には悲劇の舞台となった事もあったようだ。
天下泰平となった世の中でのこと。
亀山城の城主が、城下の機織屋の娘に恋焦がれてしまった。
機織屋の娘は「糸繰姫」と呼ばれており絶世の美女であったと言う。
糸繰姫は、さっそくにお城に召し出されて城主の寵愛を受け、城主は朝から晩まで側から離さなさない溺愛ぶりであった。
山海の珍味を揃えたり、豪華な着物や道具を与えたり贅沢に接待して糸繰姫のご機嫌を取り、家臣たちも気を使って接していった。
しかし、そういう日々が続くにつれ、城主の政治はおろそかになり、城内も乱れて汚職がはびこるようになり、城下も落ち着かない暮らしとなって来た。
家臣たちは、このままではいけないと思い城主を強くいさめると、もともとは優れた城主であったために家臣の忠言に眼が醒めたのである。
城主は、自らの態度を反省し「糸繰姫を下ろしてしまえ」と、姫を帰すように命じたつもりだった。
しかし、この命を聞いた重臣は「殺してしまえ」と聞き間違えてしまったのである。
重臣は、部下に命じて糸繰姫を庭の敷石の上に引き出させると、切り殺させてしまう。
この事を聞いた城主は悲しみにあふれ、聞き間違えた重臣を呼びつけて首を刎ねようとしたが、そこで思い直し「もともとは自分が美女に血迷って政治をおろそかにしたのが原因だ」と考えて、重臣を手打ちにするのを思い止まった。
その後は、城主は反省して真摯に政治に取り組み、城内も平静を取り戻して、城下も活気を取り戻していった。
しかし、哀れなのは間違いで罪も無く斬り殺された糸繰姫である。
そもそもは美人で気立ての優しい娘であり、贅沢も城主が一方的に機嫌を取ろうとした物で姫が望んだ物ではなかったのである。
糸繰姫の親族や知る人たちは涙を流して悲しんでいた。
糸繰姫が斬り殺された敷石は、姫の無念の印のように血がこびりついて何度洗い流しても落ちなかった。
城主は、この血染めの敷石を見るたびに哀れと悲しみを覚えたが、しかし、すべては自分の愚かさが招いた事であり、自らの戒めとして政治に励んだのである。
その後、城主が亡くなると、この敷石は三枚に割られたのだった。
一枚は姫の実家へ送られ、一枚は城主の松平家の菩提寺の「光忠寺」へ送られた。
残された一枚は姫がよく散歩していた城中の堀沿いの松の木の側に置かれたと言う。
それ以来の亀山城は、血染めの敷石を教訓にしたためか名君に恵まれたそうで、城下の人々は儚く世を去った糸繰姫に思いを馳せて冥福を祈ったのであった。