2013 06/01 16:35
Category : 日記
今日はそれほど暑くもなく過ごしやすいので、久しぶりに阪急沿線で散策を楽しんだ。
始めに阪急電車で出かけたのが水無瀬駅で、ここから大山崎まで歩こうと言うのが今日のプランだった。
ちょうど、大阪から京都へと入る感じになるのかな。
水無瀬駅から歩いて、始めに向かったのが「水無瀬神宮」である。
ここは後鳥羽天皇(上皇)を祭神とする神社で、後鳥羽天皇の離宮の水無瀬があった場所に、後鳥羽天皇が隠岐へ流された後に御影堂を建てたのが始まりで、明治になり神社へ変わったそうだ。
ここには、石川五右衛門の手形と言うのが残されており、何でも石川五右衛門が神宝を盗もうとしてやってきたが、神威に怖れて盗む事ができずに、手形を残して帰っていったという伝説がある。
その手形は門の右上に金網の覆われてあるそうだが、よく見えなかったなぁ。
そこから、さらに散策していくと大山崎付近になるとサントリーの山崎蒸留所が見えてくると大山崎駅も近い。
しばらく行くと「関大明神社」と言う小さな神社が鎮座している。
関大に関係あるのかと思うとそうではなく、「関」(せき)と読み(せきだいみょうじんしゃ)と言うのだそうだ。
古い神社で詳しいことは不明であるが、この付近が摂津国(大阪)と山城国(京都)の境であり関所があった場所だとか、京都に魔物が入らないように道祖神が祀られていた跡だとか諸説あるようであるが、歴史を感じさせる趣のある社であった。
そこから、少し行くと「離宮八幡宮」と言う神社がある。
ここは、清和天皇が、神託により国家安泰のため宇佐神宮から分霊し平安京の守護神として奉安することとし、その時に九州に使わされた大安寺の僧行教が帰途に山崎の津(当時の淀川水運の拠点港)で神降山に霊光を見、その地より石清水の湧いたのを帰京後天皇に奏上したところ、国家鎮護のため清和天皇の勅命により「石清水八幡宮」が建立されたのである。
その後に、岩清水八幡宮は淀川を挟んだ対岸の八幡の男山移され、ここは嵯峨天皇の離宮「河陽離宮」跡であったので社名を離宮八幡宮としたそうだ。
つまり、元の岩清水八幡宮とも言える神社で、往時は西の日光と言われるくらいに隆盛だったそうだ。
また、貞観年間に神官が神示を受けて「長木」(てこを応用した搾油器)を発明し荏胡麻(えごま)油の製造が始まったことから、日本における製油発祥地とされる。
その後「大山崎油座」の制度で荏胡麻油の販売権を独占して、多くの兵火に焼かれながらも江戸時代まで栄えた。
そういう事から、境内には「本邦製油発祥地」の石碑や「油祖像」の石像が建てられている。
境内も少し暗くていろいろな末社が祀られていたり、不思議な石組みが置かれていたりなかなか興味深い神社であった。
そこを出ると阪急の大山崎駅も近く、駅まで歩いて阪急電車に乗って、長岡天神まで行くと用事を済ませて帰ることにした。
考えると、今日歩いた大山崎の山手の方は天王山のある地域で、かつて羽柴秀吉と明智光秀の天下分け目の決戦の地でもあるんだよな。
いろいろと歴史を感じながら散策できて楽しかったよ。
始めに阪急電車で出かけたのが水無瀬駅で、ここから大山崎まで歩こうと言うのが今日のプランだった。
ちょうど、大阪から京都へと入る感じになるのかな。
水無瀬駅から歩いて、始めに向かったのが「水無瀬神宮」である。
ここは後鳥羽天皇(上皇)を祭神とする神社で、後鳥羽天皇の離宮の水無瀬があった場所に、後鳥羽天皇が隠岐へ流された後に御影堂を建てたのが始まりで、明治になり神社へ変わったそうだ。
ここには、石川五右衛門の手形と言うのが残されており、何でも石川五右衛門が神宝を盗もうとしてやってきたが、神威に怖れて盗む事ができずに、手形を残して帰っていったという伝説がある。
その手形は門の右上に金網の覆われてあるそうだが、よく見えなかったなぁ。
そこから、さらに散策していくと大山崎付近になるとサントリーの山崎蒸留所が見えてくると大山崎駅も近い。
しばらく行くと「関大明神社」と言う小さな神社が鎮座している。
関大に関係あるのかと思うとそうではなく、「関」(せき)と読み(せきだいみょうじんしゃ)と言うのだそうだ。
古い神社で詳しいことは不明であるが、この付近が摂津国(大阪)と山城国(京都)の境であり関所があった場所だとか、京都に魔物が入らないように道祖神が祀られていた跡だとか諸説あるようであるが、歴史を感じさせる趣のある社であった。
そこから、少し行くと「離宮八幡宮」と言う神社がある。
ここは、清和天皇が、神託により国家安泰のため宇佐神宮から分霊し平安京の守護神として奉安することとし、その時に九州に使わされた大安寺の僧行教が帰途に山崎の津(当時の淀川水運の拠点港)で神降山に霊光を見、その地より石清水の湧いたのを帰京後天皇に奏上したところ、国家鎮護のため清和天皇の勅命により「石清水八幡宮」が建立されたのである。
その後に、岩清水八幡宮は淀川を挟んだ対岸の八幡の男山移され、ここは嵯峨天皇の離宮「河陽離宮」跡であったので社名を離宮八幡宮としたそうだ。
つまり、元の岩清水八幡宮とも言える神社で、往時は西の日光と言われるくらいに隆盛だったそうだ。
また、貞観年間に神官が神示を受けて「長木」(てこを応用した搾油器)を発明し荏胡麻(えごま)油の製造が始まったことから、日本における製油発祥地とされる。
その後「大山崎油座」の制度で荏胡麻油の販売権を独占して、多くの兵火に焼かれながらも江戸時代まで栄えた。
そういう事から、境内には「本邦製油発祥地」の石碑や「油祖像」の石像が建てられている。
境内も少し暗くていろいろな末社が祀られていたり、不思議な石組みが置かれていたりなかなか興味深い神社であった。
そこを出ると阪急の大山崎駅も近く、駅まで歩いて阪急電車に乗って、長岡天神まで行くと用事を済ませて帰ることにした。
考えると、今日歩いた大山崎の山手の方は天王山のある地域で、かつて羽柴秀吉と明智光秀の天下分け目の決戦の地でもあるんだよな。
いろいろと歴史を感じながら散策できて楽しかったよ。