2008 05/03 16:33
Category : 日記
今日は以前から気になっていたS神社に行って来た。
障りがあるといけないので敢て名を秘すが判る人にはわかると思う。
実は、私は作家の加門七海さんのファンで、以前に「怪談徒然草」と言う著者のインタビューを元にした本の中で、実体験として「九人の氏子と神主」と言うお話を書いておられ、それを読んでから舞台となった神社が気になっていたのである。
加門七海さんはいわゆる見える人として不思議な経験を多くされているのだが、この「九人の氏子と神主」のお話は、ここでも神社の名前は秘されているが、加門さんが奈良県のある神社に行かれたときに聞かれた話である。
加門さんがお友達と車で旅行されてた時に、S神社の看板が目に付き、以前にも行った事があるのでもう一度行ってみようという事になった。
それで神社に着いてみると以前に来た時と雰囲気や造りが変わっており、不可解な点が多い。
まず、神社の鳥居の外の境外に祓戸神の祠が祀ってあり、その次の手水が置いてある。
祓戸神は身の穢れを祓う神であり、手水で手や口を清めてから、祓戸神にお参りしてから本殿に進むのが普通であるが、ここでは逆になってしまっている。
本殿は新しく出来たようにきれいであるが、その隣の場所に牛の像が置かれているが、天神様でもないし、直接ここの神には関係の無い牛の像があるのは不可解である。
さらに、水神を祀るとして、以前には無かった池が作られて池から水が流れて御神水としてペットボトル等を販売して持って帰れるようになっている。
加門さんが、何か気持ち悪い雰囲気だと思っていると、どこからか老人が現れて話しかけてきた。
老人の話によると、このS神社は日本書紀にも記載されている由緒ある古社で有るが、神社を建て替えることになったときに神社の配置なども変えてしまったのだという。
まず、氏子達が300万円もかけて牛のブロンズ像を造ってしまい、それを置くために本殿の横に祀られていた祓戸神を境外に移動させて、その祓戸神の祠があった場所に牛の像を置いたのだそうだ。
さらに神社の横には信仰もされている小川があったのだが、この水を境内をボーリングして小川の源から水を引いてきて、新しく作られた池に水を張り、さらに御神水として儲けようとしたのだそうだ。
これには神主と10人の氏子代表が係わったのだが、その10人の氏子代表のうちの9人までが病気や事故で災難にあい、神主も脳卒中で入院したり、奥さんが半身不随になったり、子供が交通事故になったり・・・そういう事が三ヶ月の間に次々と起きたのだという。
そして、氏子代表で唯一の無事だったのが、この老人だという話なのだ。
どうやら、この神社の神様の怒りに触れて祟ったのではないかと言うことであるが、この本を読んだ時から私には気になっている神社であった。
本の中でも神社の名前は書かれていないのだが、大きなヒントが書かれていて、少し調べると判るようになっている。
奈良にある古社であり、側には信仰の対象となる川が流れている。
また、日本書紀などにも記載されている神社で神武天皇の東征にも出てくるし、祟神天皇の項では疫病を納めるために、赤い盾と矛と黒い盾と矛を8本ずつ作り、赤い盾と矛の8本ずつをこの神に納めたと言う記録があると言う。
それらをヒントに調べた結果、この神社は奈良県でも奥地で三重県の名張に近い宇陀市にあり、有名な長谷寺の一つ先の駅で降りた宇陀川沿いにあるS神社であると推測された。
そこで私は確認してみたくなり、実際にこの神社を訪ねてみたのである。
まぁ、ここまで書くとほとんど神社は特定できたりするのだけど、一応は秘すと言うことで・・・
駅で降りて、そこから徒歩でまず宇陀川にでる、やはり気持ちの中に少し恐怖もあるので途中で見つけたお地蔵様に無事を祈願して先を進む。
その神社は駅から徒歩で10分くらいであろうか、宇陀川に架かった橋を渡って神社に行くという少し特殊な造りの神社であった。
橋を渡ると正面の鳥居の左横に手水があり、さらにその左に祓戸神の祠が祀られている。
加門さんの記述の通り、これでは祓戸神に気づかぬに境内に入る人も多いだろうし、祓戸神を参ってから手水を使うような順序になってしまっている。
本殿がきれいなのに祓戸神の祠は汚れてみすぼらしく思えてしまうほどだ。
手水をすまし、祓戸神にお参りしてから鳥居をくぐって本殿に向かう。
本殿は朱色も鮮やかで横に長く伸びた造りである。
本殿の左端の方に加門さんも書いてられた水神の池があり、一応は水の女神である「罔象女神」を祀った祠も祀ってある。
竜の口から水が流れ出ているが、書いてあったようなペットボトル等は目に付かなかった。
その御神水の池と拝殿の間には古札の納め所が儲けてあり、そこには本にあった牛の像が置かれてあった。
つまり、本来はここに祓戸神の祠が祀られていたのである。
昼間でも薄暗い場所で話を知っているからか、なんとなく恐怖を感じてしまう私だった。
拝殿の右側には様々な神を祀った小さな祠が八つならんでおり、さらにその右側には奥の道が大山祇神を祀った祠に続いている。
一応は失礼の無いように各祠には丁重にお参りしておいたが、やはり何となく不思議な雰囲気があったように感じるのは気のせいだろうか。
加門さんの内容と若干違う部分もあるが、概ねはその通りであり、このS神社がその神社だと考えても良いのではないかと思う。
ただ、祭日のこの日に国旗も掲げられていたし、一応は今でも管理する人がいるのは確かだと思う。
ほんとうに祟りがあったのかどうかは不明であるが、不可思議な点があったのは事実であり、そういう箇所が解消されて、いつかもとの平穏な古社に戻るように願わずにはいられなかった。
障りがあるといけないので敢て名を秘すが判る人にはわかると思う。
実は、私は作家の加門七海さんのファンで、以前に「怪談徒然草」と言う著者のインタビューを元にした本の中で、実体験として「九人の氏子と神主」と言うお話を書いておられ、それを読んでから舞台となった神社が気になっていたのである。
加門七海さんはいわゆる見える人として不思議な経験を多くされているのだが、この「九人の氏子と神主」のお話は、ここでも神社の名前は秘されているが、加門さんが奈良県のある神社に行かれたときに聞かれた話である。
加門さんがお友達と車で旅行されてた時に、S神社の看板が目に付き、以前にも行った事があるのでもう一度行ってみようという事になった。
それで神社に着いてみると以前に来た時と雰囲気や造りが変わっており、不可解な点が多い。
まず、神社の鳥居の外の境外に祓戸神の祠が祀ってあり、その次の手水が置いてある。
祓戸神は身の穢れを祓う神であり、手水で手や口を清めてから、祓戸神にお参りしてから本殿に進むのが普通であるが、ここでは逆になってしまっている。
本殿は新しく出来たようにきれいであるが、その隣の場所に牛の像が置かれているが、天神様でもないし、直接ここの神には関係の無い牛の像があるのは不可解である。
さらに、水神を祀るとして、以前には無かった池が作られて池から水が流れて御神水としてペットボトル等を販売して持って帰れるようになっている。
加門さんが、何か気持ち悪い雰囲気だと思っていると、どこからか老人が現れて話しかけてきた。
老人の話によると、このS神社は日本書紀にも記載されている由緒ある古社で有るが、神社を建て替えることになったときに神社の配置なども変えてしまったのだという。
まず、氏子達が300万円もかけて牛のブロンズ像を造ってしまい、それを置くために本殿の横に祀られていた祓戸神を境外に移動させて、その祓戸神の祠があった場所に牛の像を置いたのだそうだ。
さらに神社の横には信仰もされている小川があったのだが、この水を境内をボーリングして小川の源から水を引いてきて、新しく作られた池に水を張り、さらに御神水として儲けようとしたのだそうだ。
これには神主と10人の氏子代表が係わったのだが、その10人の氏子代表のうちの9人までが病気や事故で災難にあい、神主も脳卒中で入院したり、奥さんが半身不随になったり、子供が交通事故になったり・・・そういう事が三ヶ月の間に次々と起きたのだという。
そして、氏子代表で唯一の無事だったのが、この老人だという話なのだ。
どうやら、この神社の神様の怒りに触れて祟ったのではないかと言うことであるが、この本を読んだ時から私には気になっている神社であった。
本の中でも神社の名前は書かれていないのだが、大きなヒントが書かれていて、少し調べると判るようになっている。
奈良にある古社であり、側には信仰の対象となる川が流れている。
また、日本書紀などにも記載されている神社で神武天皇の東征にも出てくるし、祟神天皇の項では疫病を納めるために、赤い盾と矛と黒い盾と矛を8本ずつ作り、赤い盾と矛の8本ずつをこの神に納めたと言う記録があると言う。
それらをヒントに調べた結果、この神社は奈良県でも奥地で三重県の名張に近い宇陀市にあり、有名な長谷寺の一つ先の駅で降りた宇陀川沿いにあるS神社であると推測された。
そこで私は確認してみたくなり、実際にこの神社を訪ねてみたのである。
まぁ、ここまで書くとほとんど神社は特定できたりするのだけど、一応は秘すと言うことで・・・
駅で降りて、そこから徒歩でまず宇陀川にでる、やはり気持ちの中に少し恐怖もあるので途中で見つけたお地蔵様に無事を祈願して先を進む。
その神社は駅から徒歩で10分くらいであろうか、宇陀川に架かった橋を渡って神社に行くという少し特殊な造りの神社であった。
橋を渡ると正面の鳥居の左横に手水があり、さらにその左に祓戸神の祠が祀られている。
加門さんの記述の通り、これでは祓戸神に気づかぬに境内に入る人も多いだろうし、祓戸神を参ってから手水を使うような順序になってしまっている。
本殿がきれいなのに祓戸神の祠は汚れてみすぼらしく思えてしまうほどだ。
手水をすまし、祓戸神にお参りしてから鳥居をくぐって本殿に向かう。
本殿は朱色も鮮やかで横に長く伸びた造りである。
本殿の左端の方に加門さんも書いてられた水神の池があり、一応は水の女神である「罔象女神」を祀った祠も祀ってある。
竜の口から水が流れ出ているが、書いてあったようなペットボトル等は目に付かなかった。
その御神水の池と拝殿の間には古札の納め所が儲けてあり、そこには本にあった牛の像が置かれてあった。
つまり、本来はここに祓戸神の祠が祀られていたのである。
昼間でも薄暗い場所で話を知っているからか、なんとなく恐怖を感じてしまう私だった。
拝殿の右側には様々な神を祀った小さな祠が八つならんでおり、さらにその右側には奥の道が大山祇神を祀った祠に続いている。
一応は失礼の無いように各祠には丁重にお参りしておいたが、やはり何となく不思議な雰囲気があったように感じるのは気のせいだろうか。
加門さんの内容と若干違う部分もあるが、概ねはその通りであり、このS神社がその神社だと考えても良いのではないかと思う。
ただ、祭日のこの日に国旗も掲げられていたし、一応は今でも管理する人がいるのは確かだと思う。
ほんとうに祟りがあったのかどうかは不明であるが、不可思議な点があったのは事実であり、そういう箇所が解消されて、いつかもとの平穏な古社に戻るように願わずにはいられなかった。