2012年03月の記事


サクラ さくら  桜
さくら、サクラ 桜。弥生の空は見渡す限り、
霞みか雲か匂いぞ出ずる。
いざや、いざや、見にゆかん。
     
私の好きなサクラの名所瀬戸川は、
花が金毘羅さんの山道の両側に映えて人を立ち止まらせる。

歩く眼の前には顔まで桜が寄ってきて
ほのかな甘い香りが漂う。

その瀬戸川の土手では菜の花が咲き乱れていた。
菜の花といっても桜が満開になる頃は少し枯れ始める。

二番目に好きなさくらは伊豆高原桜並木、
淡くほんのりと紅をさし、葉も僅かに芽吹いてピンクと緑の色合いがいい。

そして自宅の近くにある小川の両側に咲く桜は満開に近いと思う。
春未だ浅い頃に桜が咲く為、ざぶざぶ流れる小川の水も冷たい。

やっぱりこの目で見なければ桜の美しさは文字で表現はできない。
でも、はらはらと風に吹かれて散る光景を思えば寂しい。

散り際が奇麗だなんて言いたくない。
幾つになっても自分の散り際を考えた事もないし、
やり残した事がいっぱい残っている自分と桜を重ね合わせたくない。

サクラ、さくら、桜、南国に住んでいる私には桜を見る事はできないが、
私の心の中に美しい桜の花がすんでいる。
夢でも会えたらいいなぁと思うこのごろ。
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養花雨(ようかう) 
昨日、用事を済ませた後、バスに乗り換え国際通りに出てみた。
2年ぶりに来た時と変わらぬ商店街には活気があったと思う。

どこに行っても所々で外国の人を見かける。
色は浅黒いが長い脚、黒曜石を思わせるような瞳をして、
まさしく中近東あたりの彫の深い独特のマスクをした人。

背の高い白人、日本人と見た目では判らない中国の人、
色々な人達で賑わっていた。

お土産屋さんが多く、観光客用のお店が多い。
そんな昨日の汗ばむ陽気から、今日は気温が9度も下がり、
風が冷んやりする。

南寄りの風から北西風に変わり昨夜から雨が降っていた。
花や木に養分を与える雨で養花雨(ようかう)が降り始める。

主人は、雨が降ってもゲートボールに行くと出かけたものの、
昼食時に、「誰も居なかったから草取りをして来た。」
ひとり言を言いながら帰宅し、再び用事を兼ねて出かけた。

私が買物に行った頃は冷たい西風が吹いていたので、
温かな麺類とそれに添える物を買い求めた。

初夏から冬が戻ったような、気温よりも体感温度が低く思うほど
風が吹き荒れていた。
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うりずん
家族の暴言を聞いて夜の町に飛び出した。
静かに降る雨のなかを明日の買物をしながら風に汗を流して貰う。

今日は春分の日、お花を一輪買って先祖にお供えをする。
春分の日は「昼と夜の長さが同じになる。」と言われるが、
実際は昼の方が長い。

これからは夏に向け昼が長くなり沖縄は1年で最も過ごしやすい
「うりずん」の季節を迎える。

「うりずん」は春分から梅雨入り迄の時期で
沖縄の旧歴3月頃を指し、農作物の植え付けにはほど良い雨が降る。

「うりずん」の季節を迎え、とある民家の駐車場では
ヒスイカズラが美しく花を咲かせている。

本土では、暑さ寒さも彼岸迄と言い
お彼岸を迎える頃にはとても良い季節を迎える。

処が今冬は大雪が続き寒さが厳しい為、河津桜等の開花も例年より遅れ、
北国では気温も低い。

遅れても春はきっとくる。山々から川辺から町の片隅から。
ふんわり甘い香りの花びらを春の風が運んでくれる。
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あれから一年 
昨年3月11日午後2時46分、誰も忘れる事ができない事が起きた。
その後、砂煙にまみれて津波が猛烈な勢いで迫ってきた。

特に津波被害が大きかった宮城県、福島県、岩手県の映像を見れば
恐ろしさで言葉がでない。

茨城県や東京近辺も、地震の揺れが相当大きかった。
東北から大分離れている静岡でも非難勧告がでた位、地震の規模が大きい。

あの時、揺れていた時間が長いので今迄の地震とは違うと感じたが、
あれ程の大地震とは夢にも思わなかった。

1年経った今でも被災地はがれきの山が片付かず、
復興したと言える状況ではない。

同じ日本に生きる人間として力になれる事は何だろう。
東海地震がくれば明日は我が身の上に降りかかってくるかもしれない。

沖縄も被災者を受け入れている為、
東北や関東等から千人前後の被災者がやって来ている。

温暖な沖縄で風邪をひく等と言えば笑われると思うけれど、
風邪をひいて咳き込んでいる人も割といる。

私もカロリーを減らし少し痩せたものの、風邪をひいてしまった。
人が聞けば驚くほど食事量も少ない。

こんな馬鹿な事をしては風邪をひくのも当然だと反省をする。
沖縄も1週間ぶりに青空となり日差しの明るさから元気をもらう。
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啓蟄になり 


昨日は、二十四節気の1つ啓蟄。春の暖かさを感じて、
冬ごもりしていた虫が外に這い出てくる頃の事。

啓は、開く、開放する。蟄は冬ごもりの為に虫が土の下に隠れる事。
沖縄に来てから季節感を感じないのは街中に住んでいるから。

静岡では、狭い庭のサクランボの木に桜のような花が一ひら二ひら咲き始めて、
満開になっているかも知れない。

花びらの色はソメイヨシノに、形は梅に似て香り迄少し梅に似ている。
どちらかと言えばサクランボの花の方が匂いが弱く、
ほのかな甘い香りが漂っていた。、

空には小鳥達が、土には花々が、富士山と海、川、自然がいっぱい。
四季を自然が教えてくれ、景色が美しいのは郊外に住んでいるから。

最近の沖縄は25度前後の晴れが続き、蒸し暑くて汗をかいて動いている。
今日は雨がふっているので過ごし易い。

買物に行き、今年初めて少し重さのあるジュース等を買い求めた。
主人に手渡すと「ありがとう。」小さな声が聞こえたような気がする。

夜になっても蒸し暑く主人はお布団をかけて、
私は薄い毛布1枚だけで寝ている。

急に気温が高くなってから、冬から初夏という感じがして
沖縄には春がないのかと思う。
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夏日
昨日は母の命日だった。「お母さん、私はいま沖縄にいるの。」
昨日から夏日でおまけに1日中太陽が顔を出すのは珍しい。

外に行くと紫外線が強くて、お母さんなら「西瓜が食べたい。」きっと言う。
夏の涼しい日でも親戚から頂いた西瓜を昼食変わりにしていたね。

形の悪い売れ残りの西瓜が、廊下にごろごろ転がっていた。
あの頃、食事の時の惣菜もなくて昼食は西瓜を食べる日が多かった。

玄関には、母の疲れたようなボロなサンダルが置いて有り、
その隣には、皮が擦り切れていた父の皮靴が並んでいた。

景気のいい時代で同級生は下校すれば学習塾やお稽古ごとに行き、
私は、映画館の仕事が忙しい叔母さんの家に子守に行っていた。

中学二年になっても勉強もせず、高校生になってもアルバイト生活が続いた。
あの時に叔母さんに頂いたコロッケが美味しくて忘れられない。

母の命日も遠い思い出になってしまった。

3月4日の母の命日も過ぎ、今日も26度の陽光の眩しい1日で
小さめの洗濯機で洗濯3回、お布団干し、
外出すれば強風が吹き荒れ、日傘が役に立たない。

珍しく快晴の青空に雨粒がどこかからかパラパラ飛んでくる。
飛行機や戦闘機の騒音が雷のように聞こえて胸騒ぎを覚える。

バスを待つ 母と娘の 春日傘。
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山の空気
うっそうと茂る並木道をバスに乗って目的地まで行くと
そこには沖縄本島が一望できる高台が有った。

25度前後と気温も上がり、
春用のブレザーでも汗ばむ程の陽気だった。

あの時、涼しい風が吹いて名も知らぬ草花がふわふわ揺れていた。
あー気持のいい風だわ、思いっきり背伸びをした。

沖縄にも山が有る事を今更知って小鳥のさえずりを聞けば
清々しい気持になる。

まだ足の指が少し痛むので長い距離は歩かずに、
2時間位で住まいに戻って来た。

途中で公民館に寄ろうと思ったが後日に行こう。
夕方に買物に行けば雷が鳴ってざざーっと本降りの雨が降る。

その雨も直ぐに止み、買物袋を提げて再び住まいに帰って来た。
主人は自転車でずぶ濡れになって帰宅する。

主人の話を聞くと疲れてしまう。
そういう時は何を言われても無言でいる方が無難な事を
よく判っている。

そして時が過ぎれば機嫌が良くなる事も判っているので、
黙々と裁縫したり家事をしている。

男の人はプライドが高いので誉めて、
手綱を引いたり緩めたりが中々難しい。
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もうすぐ雛祭り




幼い子供のいる家では、そろそろ赤い雛壇を出して飾る頃。
お雛様、お内裏様、三人官女、五人囃子、その下にも飾ってある。

3月3日は桃の節句、雛祭り。
女の子の健やかな成長を祈る節句。

平安時代に、出産の際の死亡率が高かったので、
命を持っていかれないよう、
枕元に身代わりの人形を置く習慣があったとの事。

人形(ひとがた)とは身代わりという意味で、
この風習は自分の厄払いを引きうけてくれた人形を流す「流し雛」へ発展し、
今も残っている。

私も幼い頃、雛壇を飾って貰い小さな人形が可愛くて喜んだ想い出がある。
その雛壇を飾ってくれた母も20代の私を残して亡くなった。

雛祭りがくる度に、その翌日に亡くなった母を思い出し、
早咲きの桃の花を何度かお仏壇に飾ったと思う。

父の事業が失敗した後の母は糖尿が悪化し、
私が入院費を出しても入院せず、それを生活費に充てゝいた。

入院していたらもっと長生きをしたと思うけれど、
本人が病院が嫌いで産まれて一度も入院する事もなく家族とすごしていた。

親姉妹に縁の薄い私も、天国にいる母に、父に、姉に会いたい時がある。
そんな時は、何時も心の中に居ると自分に言い聞かせている。
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