2009 02/05 13:20
Category : 日記
桜並木を歩いていると、真っ青な空に、綿のような真っ白い雲が、西から東へ流れていく。
柔らかな真っ白い雲、それは、父の顔になり、母の顔になり、そして姉の顔に見える。
再び、流れてきた雲は、幼い友の顔になり、初恋の人の顔になり、東へと流れていった。
流れる雲は、時折り、人の形に見えたり、花の形に見えたり、動物の形にみえて不思議。
消えては浮かぶ流れ雲、あの雲に乗って、あの町へ行こうかな、「待って!」追いかければ
雲は逃げてしまう。あの雲の様に人生を振り返る事もなく、走り続けていた私。
今まで、走り過ぎてしまった生活、数年前迄、四季も知らずに夢中で生きていた年月。
そして今、春、夏、秋、冬の季節をじっくり観照できる幸せ、雲の美しさも判る。
雲だって、一箇所の場所に浮かんでいたいと思う。流れて直ぐに消えたくはないと思う。
一日中、消えては浮かび、幾つかの雲が一緒になったり、離れたりしている。
私は、あの雲みたいな一瞬の間に流れてしまう雲には、なりたくない。これからは、
真っ青な空に、ぽっかり浮かび、綺麗だ!そう言われる、白い雲の様に純な心で居たい。
二月の雲は、風の冷たさの為、冷んやりと感じる。それでも、柔らかな雲に見える。
人生の波に流されてしまったけれど、もう、堂々と浮かぶ雲になりたい。
この日記は、昨年2月18日に綴った日記として思い出がある。
今も同じ気持で流れ雲を見ている。そして流れ雲は流される雲ではなく、
自分の目的に向かって先へ先へと進む雲、一途な雲だと思うようになった。
人生の過去ばかり悔やまず、明るく楽しかった事など雲を見て思い出したい。
綿飴のように柔らかく包み込んでくれるふんわりした真っ白い雲、
青い空に白い雲の色合いが美しい。楽しかった如月の楽しい旅はもう終わる。
人間だから悩んがり泣いたりする時も有る。其の後必ず笑える時も来ると
私は信じている。浮き沈みがあっても仕方がない。運、不運は誰も判らない。
柔らかな真っ白い雲、それは、父の顔になり、母の顔になり、そして姉の顔に見える。
再び、流れてきた雲は、幼い友の顔になり、初恋の人の顔になり、東へと流れていった。
流れる雲は、時折り、人の形に見えたり、花の形に見えたり、動物の形にみえて不思議。
消えては浮かぶ流れ雲、あの雲に乗って、あの町へ行こうかな、「待って!」追いかければ
雲は逃げてしまう。あの雲の様に人生を振り返る事もなく、走り続けていた私。
今まで、走り過ぎてしまった生活、数年前迄、四季も知らずに夢中で生きていた年月。
そして今、春、夏、秋、冬の季節をじっくり観照できる幸せ、雲の美しさも判る。
雲だって、一箇所の場所に浮かんでいたいと思う。流れて直ぐに消えたくはないと思う。
一日中、消えては浮かび、幾つかの雲が一緒になったり、離れたりしている。
私は、あの雲みたいな一瞬の間に流れてしまう雲には、なりたくない。これからは、
真っ青な空に、ぽっかり浮かび、綺麗だ!そう言われる、白い雲の様に純な心で居たい。
二月の雲は、風の冷たさの為、冷んやりと感じる。それでも、柔らかな雲に見える。
人生の波に流されてしまったけれど、もう、堂々と浮かぶ雲になりたい。
この日記は、昨年2月18日に綴った日記として思い出がある。
今も同じ気持で流れ雲を見ている。そして流れ雲は流される雲ではなく、
自分の目的に向かって先へ先へと進む雲、一途な雲だと思うようになった。
人生の過去ばかり悔やまず、明るく楽しかった事など雲を見て思い出したい。
綿飴のように柔らかく包み込んでくれるふんわりした真っ白い雲、
青い空に白い雲の色合いが美しい。楽しかった如月の楽しい旅はもう終わる。
人間だから悩んがり泣いたりする時も有る。其の後必ず笑える時も来ると
私は信じている。浮き沈みがあっても仕方がない。運、不運は誰も判らない。